【引きこもりの北欧紀行】第四章その3 日本語で話すリトアニア人

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Lithuania Day 1
 朝の七時半。家の中は静まり返っている。彼女の両親は今朝からラトビアに週末旅行へ出掛けたとのことで、そんな仲睦まじい両親を少しうらやましくも思った。
僕はシャワーを浴び、朝食を食べた。彼女はまだ眠っていたし、僕は腹が減っていた。
りんごとリトアニアのビスケットを一緒に食べるとりんごケーキみたいな味がする、と彼女が言っていたのを思い出し、試してみる。なるほど。

パパが教えてくれたのよ、と彼女は言っていた。どこの国にもこういう食べ方はあるのだ。アボカドと醤油でマグロ、みたいなものなのだろう。
リトアニアはパンも美味い。まずは穀物入りのもっちりとしたパンを食した。
あとは彼女の母親が僕のために買っておいてくれたヨーグルト。至れり尽くせりだ。

すっかり腹が満たされ、僕は紅茶を飲みながら外を眺めていた。こういうリビング、いいなぁ。僕は海外でこれほどまでに「アットホーム」な感覚を味わったことがなかったため、すっかりくつろぎきっていた。

 海外。
 この言葉も、島国ならではの日本的な言い回しなのだろう。

言葉というものはおもしろい。国の言葉に、不完全ながらも歴史が全て凝縮されていて、逆に言外の範囲で物語ることが多いように思う。
外国語を勉強すると、特にそう思うことが多い。また、自分が表したかった感情が英語でのほうがしっくり来る場合というのも存在する。母国語では今まで上手く表せなかった気持ちが目に見える形になる。こういう瞬間は、結構快感だ。
そういう意味で、本当の翻訳というのは存在し得ないのかもしれない。翻訳作業というのは、ほとんど文章の作り変え作業と言ってしまってもいいのではないか。僕は翻訳をしたことがないけれど。

 彼女は十時過ぎに起き出してきた。いつも休日は十二時まで眠ると言っていたから、上出来だろう。
この一週間仕事をして、昨日は僕を空港に迎えにまで来てくれたのだ。思う存分眠る彼女を妨害する権利がいったい誰にあるというのか。シャワーを浴び、サーモンのオープンサンドという朝食を摂る彼女を見ながら、僕は彼女が淹れてくれたコーヒーとお菓子を食べていた。

 リトアニアのお菓子の話をしなければならない。
リトアニアには、チョコレートを始め様々なお菓子がある。そのどれもに共通すること。
日本のお菓子の13倍くらい甘いのだ。これは結構リアルな数字である。
例えるなら、登っても登っても崩れ落ちてゆく砂糖の山をハイキングしているような、晴れの天気予報の日に突然の砂糖雨に降られたような、そんなやるせなさすらそこにはある。
それでも伝統的なお菓子だから、と彼女は僕に少しだけかじってみることを許してくれた。彼女はここで僕に、自分の故郷である小さな国、リトアニアを見せてくれようとしているのだ。

 天気を確認すると、雨の予報だった週末の天気はまずまずの天気に変わっていた。
僕たちは二人とも自然が大好きだから、今日は外に出かけることに決めた。彼女の運転で、僕らは「リトアニア自然博物館」(名前は僕が適当につけた)へ向かった。

 運転者がこなれた人物の場合、車内での会話は結構濃密で深い話になりうる。
僕たちはこれまで会えなかった分のキャッチアップをし、これからの話をした。僕は確実に失われた何かがじんわりと僕の中に広がってゆく温かみみたいなものを感じた。

 僕たちは似ていた。彼女と話していると、まるで妹といる時みたいな安心感と、同時に親友としての同盟的共感のようなものとを同時に感じた。
他己評価と自己評価のギャップに苦しみ、存在しない正解を探して迷い、それでも心を捨てきることができない弱さと、強く見せようとする性質が似ていた。そして、そのことに気づいてからは数年前よりもずっといい方向に考え行動できていること、それでもまだまだ道の途中だと思っていることが似ていた。妹が大好きなところが似ていた。恋愛がうまくできないところまでもが似ていた。僕たちはあるいは双子なのかもしれない。

 「女の人には3つのタイプがいるんだって。アメリカの記事で読んだ。一つ目のタイプは、『弱さを見せる』タイプね。この種類の女性は、自分ではなにもできないとか、虫が怖いとか、とにかく守ってもらいたがるタイプ。二つ目のタイプは、『強く見せようとする』タイプ。これ、私ね。これも弱い人間なの。何でも自分でしようとするし、それができちゃうものだから、うまく人に頼ることができないの。それで、弱さを見せるのが怖くなっちゃう。最後のタイプが『強さと弱さを知っている』タイプ。このタイプは、ほんとは何でも自分でできちゃうんだけど、それでも誰かが自分のために何かをしてくれることの喜びや楽しさを知っている。何でも自分の中に収めてしまおうとしない人。私も最近、ちょっと女らしく振る舞おうと努力してるんだけどね」と、何でもできる彼女は笑った。

 彼女がこんなふうに英語を話すときは、本当にかっこいい。キャリアウーマンのオーラがたっぷり漂っていて、頼りがいがある。これなら強くてハキハキとして明るい女性という印象だけが先走ってしまうのも頷ける。

ちなみにリトアニア語を話しているときは、ほとんど宇宙人みたいだ。
そして、日本語を話す時。さっきまでの彼女が嘘みたいに、可愛らしくなる。少したどたどしくはあるけれど、数年のブランクを感じさせることなくほとんど問題なくコミュニケーションが出来た。これには僕も少々驚いた。

 「日本語が、ほんとに、好き!日本語を習いたいって思ったのも、文化とかよりも日本語を話したーいって思ったからなの。日本語を話したり聞いたりするとね、安心するの。そう思うでしょ?」と彼女は日本語で言った。
 「それは嬉しいよ」僕はどう答えたものか束の間考え、とりあえず礼を言った。
 「よかったら、これから日本語で話してみるかい?」運転中の彼女が日本語で話すことで気が散ってしまわないか心配だったが、僕はそう提案してみた。
 「ほんとに?いいの?そうしたーい!」と彼女は僕の方を見てはしゃいだ。頼むから前を向いて運転してくれ。しかし彼女は本当に嬉しそうに日本語を話していた。

 数年前の僕なら、こんな提案はしなかったかもしれない。英語で話す機会があればとにかく英語で話したかったし、ことごとく日本語を避けていた時期もあった。それが語学力向上の一番の近道だと信じていたし、日本語で話すことは逃げだと思っていた。

 「言語で友達を選びたくないから、英語を学んで友達の幅を広げるんだ」
 これは、その頃の僕が鼻高々で繰り返していた言葉だ。
今思えば、英語のために外国人と話していた面も少しはあったかもしれない。言語で友達を選びたくない、が聞いて呆れる。
あの頃の僕から見たら、今の僕は逃げていることになるのだ。確かにそうかもしれない。
けれど、彼女のこの嬉しそうな顔を見ると、少々会話がたどたどしくなろうと日本語で話したくなるのが友情ってものじゃないかと僕は思う。数年の間でこうも一人の人間の価値観が変わってしまうのだから、世界が無数の違った価値観で溢れているのも頷ける。

晴天

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ブログ運営者

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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