【引きこもりの北欧紀行】第四章その8 これは散歩道じゃない。

あらすじを読む 【引きこもりの北欧紀行】 〜あらすじ〜
はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
旅のしおりを見る
【引きこもりの北欧紀行】第二章その1 ゴットランド島 憧れの魔女の島へ
【引きこもりの北欧紀行】第三章その1 フィンランド 第二の故郷
【引きこもりの北欧紀行】第四章その1 リトアニア 学生時代への回帰とそれぞれの成長

 「近くにいい散歩道があるの」と彼女は車を運転しながら言った。
 そこは森の中だった。高い木々や小さな小径や白鳥の泳ぐ池は、まるでどこか別の世界みたいだった。完結した、誰をも寄せ付けないような鋭さがあった。段々と、道が狭くなってきた。まだ日があったので明るくはあったが、その道無き道は何もかもを呑み込んでしまいそうな果てのない世界の終わりを告げているようでもあった。

 「まだ歩くかい?」
 「もう少しで湖があるの。歩ける?」
 「歩けるよ」
 この会話、デジャヴだ。
 背丈よりも高い草が大地を覆い隠していた。15分ほどそんなところを進んだ頃、僕はもう進まないほうがいいんじゃないかと思った。足に激痛が走る。見ると、僕の足のくるぶしの裏辺りに赤くぷっくりとした点々が大量にできていた。

 「ねぇ、待って。足が痛いんだ。引き返してもいいかな?」僕は堪えられず、そう言った。
 「ごめんね。もちろんよ。写真を撮ってきてあげるから、草のないところで待っていてくれる?」
 彼女は一人でずんずん進んでいった。すぐに見えなくなってしまった彼女を、僕は少し心配に思った。

 ほどなくして帰ってきた彼女とともに、僕は来た道を引き返しながら途方に暮れていた。なんだってこんなにも体力がないのだろう。ほとほと自分に愛想が尽き始めていた。海外にいるということを差し引いても、あまりに虚弱過ぎる。
日本では普通に生活できてしまっているからあまり感じないが、ここにいると普通の人は僕の想像を超えて活動的に生活していた。

 「ねぇ、怒ってる?本当にごめんなさい」彼女が後ろから心配そうに声を掛けた。
 「えっ、どうして?」僕は驚きのあまり足を止めて後ろを振り向き、危うく彼女とぶつかりそうになってしまった。
 「だってあなた疲れてるのに、散歩に誘ってしまったり、足に痛いものができちゃったり。でも心配しないで。これは身体に毒になるものじゃないから。わたしも手にできてる。ほら」
 「本当だね。安心したよ。あと、僕が来たいって言ったんだし、君が謝ることじゃない。僕の体力がなくて、申し訳ない」

 よくよく考えてみると、彼女はこの数日間で本当によく謝っていた。異常と言ってもいいくらいだった。英語で聞いていると何気なく流せたが、日本語だとダイレクトに響いてくる。一体何をそんなに心配してるっていうんだ?

 家に帰り、僕はシャワーを浴びさせてもらった。足はズキズキ痛んだけれど、彼女にこれ以上謝らせたくはなかったから黙っておいた。
 その後、やはりお決まりのドラマを見た。僕たちは西瓜を食べながらドラマを見ていたのだけれど、彼女があまりにも早く西瓜を食べるものだからほとんど箸をつけることができなかった。そう、僕らは箸で西瓜を食べていた。
 「すごいね。西瓜、おいしい?」
 「すごくおいしい。早く食べすぎて本当にごめんね。大丈夫?」
 「もちろん」
 「後でもっと切ってくるね」
 もう、謝らなくていい。そんなことで誰も怒りやしない。

 ドラマの中の、我が道を行く「カッコイイ」カフェレストランのオーナーと、自分の中に傷と闇を抱える自信の持てない三人の主人公に、彼女は大いに共感していたようで、事あるごとにコメントを発していた。二人の話を同時に聞くことができない僕は、その度に「んー」だか”yeah…”だかとにかく心ここにあらずの反応を繰り返していた。

 「あー、私も自信がなーい」彼女はベッドの上に横たわり、心からの本音であろう一言を口にした。
 「まぁ、焦らずゆっくり見つけようよ」僕は、ドラマの中の父親役の人がいかにも言いそうな台詞で彼女を励ました。
ドラマの最後の方で、またしても彼女が口を開いた。
 「ねぇ、怒ってる?」
 「どうして?」
 「だって、私はあなたが疲れているのに散歩に行こうって誘って、痛い思いもさせてしまって、なんだかあなたも体調が悪くて、リトアニアのことも私のことも、こんなはずじゃなかったって面倒くさくなってしまっているんじゃないかって。私、もっと気をつけなければいけないのに、アホうだからいつも……。どうしよう。ごめんなさい」彼女の目からは、涙が流れていた。

僕は慌ててビデオを止め、彼女の手を取った。彼女は読めすぎてしまうのだ。場の空気を読んで、悪い方向に肥大化させてしまう。あまりに繊細で、優しすぎる。そしてそんな自分をいつも激しく否定している。
 「いいかい、誰かがそんなことを言ったのかい?そんなことでは誰も怒らない。君が僕にリトアニアの魅力を見せてくれようとしているのは痛いほどわかるし、僕の体が付いて行ってないだけなんだ。僕の方こそ申し訳ない。心配しなくていい」
 僕は彼女の頬の涙を拭いながら、ぎゅっと手を握った。

 彼女の感じ方には覚えがあった。自分に自信がなく、それなのに周りからは明るい子だと思われ、そのイメージを裏切りたくない。仕事で忙しくてプライベートな時間も取れず、でも自分のやりたいこともはっきりしないまま毎日をやり過ごしている。いつも誰かに謝っていて、それでも自分の存在価値を認められず怖がっている。彼女はその強さと優しさゆえに、弱い。僕は今でも随分と精神的に脆いところがあるが、ある意味では最悪の状態は抜けている。彼女に教えてやれることは、「悪いこともいいことも、長くは続かない」ということ、それだけだ。
ドラマを二本続けて見た後は、彼女も大きな声でけらけらと笑っていた。もしかしたらこいつ、案外タフなのかもしれないな、と僕は思った。

青空
リトアニアの空は、青が濃い。

散歩道
散歩道…?
奥に友人の姿が見えるでしょう。

↓続きを読む
【引きこもりの北欧紀行】第四章その9 人生は短いってことがポイント

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍、ペーパーバック(紙の書籍でお届け。POD=プリントオンデマンドを利用)
販売価格:電子書籍450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)、ペーパーバック2,420円

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。