【引きこもりの北欧紀行】第四章その9 人生は短いってことがポイント

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Lithuania Day 4
 「ねぇ、起きてる?」彼女のノックで僕は目を覚ました。
 時刻はもう八時だった。十時間近くも眠っていたことになる。それでもまだ体が睡眠を欲しているくらいだった。
彼女は鍵の場所や食べ物の場所なんかを教えてくれ、仕事に出かけて行った。今日は家でのんびりしながら仕事だか作業だかをこなすつもりだった。

 朝ごはんを食べ、仕事をし、昼ごはんを食べ、うたた寝を何度か挟みながら夕方までの時間を過ごした。
こういう一人の時間の過ごし方は、日本にいる時から慣れているのだ。今日は頭の痛みがひどかった。

 夕方になると、僕は彼女のために簡単な夕食を作ることにした。彼女にメールすると、あなたの体調が悪くなるといけないから無理しないでだとかなんだとか、例の心配症な返事が返って来た。彼女のいいところであり、弱みだ。

 冷凍野菜ととうもろこしを茹で、トマトをカットし、じゃがいもとソーセージとズッキーニでパスタを作った。日本で使っている調味料がないばかりか、調味料が全部リトアニア語で書いてあるものだから、ほとんど勘と運に任せるしかない。

 彼女が仕事から帰って来て一緒に夕食の準備をしていると、ちょうど彼女の父親も家に帰って来た。僕たちは夕食を共にし、色々な話をした。

 「日本には、大きな台風や地震がよくあるよね。それに、労働時間も長い。どうやって日本人が幸せを感じられるのか、僕たちにとっては不思議でしかないんだよ」と彼は言った。
海外にいると、こういった類の質問によく出くわす。

 「多分、多くの日本人はただ知らないんです。こういうライフスタイルがあるってことや、人生の一瞬一瞬が喜びに充ちている状況だとか。だから僕たちは、休日を思い切り愉しむんです。それで満足なんです。時には知らないほうが幸せなこともある」

 「それって、なんだか悲しくないか?そりゃ僕たちはよく働いてよく遊ぶ。自分でビジネスをしていたら、休日に仕事をすることもある。でもそれが楽しいんだ。最高にね。そうじゃなかったら、今すぐ違う仕事を探してるね。それにしても、このパスタは最高だね」

 「ありがとう。気に入ってもらえてよかった」

 「僕たちが小さい頃は、今みたいに色々な食べ物はなかった。幾つかの種類の野菜と、パン。それだけだったし、それだけで満足もできた。その習慣はいまでも抜けない。あまり色々な種類のものを食べたいと思わないんだ。この美味しいパスタは別だけれどね」

 「ねぇ、この人が面白い話をしてくれたの」彼女が横から口を挟んだ。

 「人生が80年だとするでしょ。それで、0歳から1歳までは、これまでの1年間の人生のうちの1年だから1/1。その次の1年はこれまでの2年間の人生のうちの1年だから1/2。こんな風にして80歳までの1年間は、体感的にどんどん短くなっていく。そうすると、人生の半分はどこだかわかる?」

 「80年の半分だから40歳だ」彼は自信ありげに言った。

 「違うの。20歳なのよ」彼女もまた、得意げだ。

 「どうしてだい?」

 「1/1+1/2+1/3+……と、反対の1/80+1/79+……を計算していって、ちょうど同じになるところが、体感的な人生の半分なのよ」

 「そんな計算をしたら、むしろ12歳くらいで半分が終わってしまうと思うよ」

 「細かいことは気にしないで。とにかく、人生は短いってことがポイントなのよ」

 「その通りだ。ただ、死を恐れることはない。肉体は滅ぶかもしれない。しかし、僕たちが生あるうちに触れたもの、感じたもの、生み出したものは生き続ける。今ここで経験している全てがこれからも世界の一部になって、魂は永遠に生き続けるんだ。これって最高じゃないか」

 「確かにお父さんは、私たちにとにかく色々な経験をさせてくれた。モーターバイクは本当に怖かったけれど。背中もすごく痛くなったし。まあでも、死ぬことを怖がっていたらずっとベッドの中で一生を終えることになるわね」彼女は昔の思い出を懐かしむように、苦笑いしながら言った。

 「けれど、永遠の生なんて欲しいですか?むしろ僕は若いことが時々嫌になる。年配の人達は僕よりも経験がある分いろいろなことを知っていて、何も知らないのは僕だけで、役に立たないロクでもなしみたいに感じるんです」

 「いいかい」彼女の父親は真面目な顔をして僕にこう言った。彼女は食器を片付けにキッチンへ行ってしまっていた。

 「大人は確かに人生について色々なことを知っている。おじいさんやおばあさんはほとんど全てを知っているかもしれない。けれど、彼らは時々心の扉を開けて、君にそれを見せてくれるだろう。いつもは彼らのマスクの裏に隠れている部分を、チラリと見せてくれる。なぜなら彼らは君を愛しているからだ。僕は娘たちを心底愛している。だから彼女たちにいつもこう言うんだ。君たちは生まれた時からプリンセスなんだ。そして君たちはクイーンになる。自分を誇らしく思いなさい。決して役立たずだなんて思っちゃいけない。君はクイーンなんだよ」
 僕はもうなにも言わずに頷くことしかできなかった。

 「君は今ここに来ている。違う世界を見ている。それは君が日本に帰った時に、例え何か目に見えて変わるわけじゃなくても、君の心の中で何かが変わっているはずなんだ。それはきっと、君を幸せにしてくれる」

 「もうそれはきっとあなたにはわかっているわよね」いつの間にか戻ってきていた彼女は言った。

 「さ、そろそろ行きなさい。今日は買い物に行くんだろう?」

 そう、僕たちは今から出掛けることになっていた。時計は既に八時を指していた。日本にいた時では考えられないスケジュールだ。こちらにいる時は、僕の肉体的活動は彼女が仕事を終えた時間から始まるのだ。

 スーパーマーケットまでの車の中で、彼女はいつものようによく話した。日本語で話している時でさえ、彼女のほうが十倍は多く口を利いている。これは性格的な問題なのだろう。

 「私、日本人も幸せだと思うわよ。ただリトアニアとは文化が違うだけ。当たり前だけどね」
 彼女は日本に留学していた分、父親より日本寄りの考え方を持っている。

 「私たちは自分らしさを求めているの。他人がどう言おうと、気にしない。だからあなたも、私の言うことなんか気にしちゃダメよ」
 「わかったよ」僕はようやく笑った。

 スーパーマーケットでは、たくさんのおみやげを買った。こうして地元の人たちが食べるものをおみやげに買っている時が一番楽しい。ついつい買いすぎてしまう。
リトアニアで作られたチョコレート、リングの形をした様々な種類のビスケット、紅茶なんかがどんどん僕のカゴの中にうず高く積み重なっていく。彼女が息つく間もなくどんどん説明してくれるものだから、僕はほとんど考えもせずに自動的にカゴの中に入れ続けた。

 レジの店員と彼女がやたらと長く話し込んでいた。聞いた話によると、彼女は日本の国民的アニメであるワンピースが大好きらしい。日本のアニメは、本当にどこでも大人気だ。
 「ありがとうございましたっ!」彼女はやたらと威勢の良い日本語で、長いレシートと共に僕を送り出してくれた。
 今夜は遅くなったので、ドラマを半分だけ見てから眠った。

紅茶タイム
家主が誰もいない家で、ひとり紅茶タイムを愉しむ。

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【引きこもりの北欧紀行】第四章その10 動く太陽、動かない太陽

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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