【引きこもりの北欧紀行】第四章その14 セロリ抜きでお願いします

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Lithuania Day 9
 8月23日(土)の午前7時。今日は僕がこの家で一番の早起きだ。1階でリトアニアのサックリとした食感のりんごを取り、部屋で食べた。僕はサックリよりもシャクシャクしたりんごの方が好きだ。文字では伝わらないかもしれないけれど。
ちなみに、林檎と書くと途端におとぎ話の中に出てくるりんごみたいに見えてくるのは僕だけだろうか。

 9時頃まで部屋で旅行記を書いていた。気が付くと彼女の両親はすでに出掛け、彼女は起きて部屋で縫い物をしていた。
全く気づかなかった。自分の分からない言語で会話が交わされていることに慣れると、耳が自動的に機能を退化させるらしい。

 遅めの朝食を摂り、出かける支度をした。今日は街の中心に行くことになっていた。
二日ぶりの外出なものだから、僕は結構ワクワクしていた。
インドア志向な人間をアウトドア志向に変えるには、二日ばかり家に閉じ込めておくのが良いようだ。

彼女が二度目の朝食を摂りはじめたものだから、僕はマッサージチェアで昨日の重労働で痛めた腰と肩を癒やした。ここの人たちは好きな時に好きなだけ食べて、僕は痛めた身体をマッサージ機に委ねる。悪くない休日のはじまりかただ。

 10:30頃に家を出て、まずは先週の日曜日に行ったマーケットプレイスで布の生地を探す。そう、僕はすっかり日本でも手芸をするつもりになっている。彼女に連れて行ってもらった店の真向かいに、リネンが豊富に取り揃えられている店があると店員さんが教えてくれた。ここは彼女も知らなかったくらいの地下の秘密基地みたいなところで、彼女は見るからに興奮していた。

 「ねえ、見て!ほら!この生地かわいい!」

 「うーん、僕はこっちのほうがかわいいと思うけれど」

 「えー、全然かわいくない。あ、見て!こっち来て!」

 僕は、彼女の買い物に付き添う彼氏の気持ちというものが多少理解できるようになった気がした。結局ここには明日もう一度来ることにし、僕たちは店を後にした。明日は絶対に僕が買う生地を吟味する時間を死守する。

 その後、僕たちは街の中心に向かった。ここは国の首都だから、土曜日におけるその中心というのは混雑しているであろうことは想像に難くなかった。まず僕たちが向かったのは、僕があるブログで読んで行きたかったリトアニアのコスメのお店「MARMOSEL」だ。妹がリトアニアのコスメを欲しがっていて、何かしら体につけるものを買おうと思っていた。

 そこには見るからに上品そうなマダムが店を構えており、僕たちに丁寧に化粧品の説明をしてくれた。もっとも彼女は英語を話さなかったから、僕の友人が全て翻訳してくれた。
そう、僕はここに来て彼女に世話になりっぱなしなのだ。本当に猛烈に感謝している。
そこにはリトアニアのリネン製品、そしてオーガニックの化粧品が並んでいた。そして、彼女は会社の創始者がいかにこだわって製品を作っているかを僕たちに語ってくれた。

 さんざん悩んだ末、僕は結局ブログで見た粉状のパックを購入することに決めた。食べられる粉末を、水に溶かして顔に塗るのだ。なんだかよくわからないけれど、二種類あったからどっちも買うことにした。これで妹には満足してもらおう。

 そのマダムは、僕が日本人という理由でディスカウントしてくれ、チョコレートの香りのパヒュームペーストまでプレゼントしてくれた。僕は彼女にほとんど抱きつきそうになった。
よかろう。僕が日本でこの店の広告塔になろうじゃないか。
「MARMOSEL、MARMOSEL、MARMOSEL」覚えていただけたろうか?ちなみに僕はこれがどう発音されるのかを知らないけれど。

 彼女の会社に車を停めることができるということで、僕たちは首都のど真ん中にある彼女の会社へ向かった。やっぱり彼女はエリートなのだ。
 「本当に、見せたいものが山のようにあるの。今日は歩くわよ」と彼女は言った。望むところだ。

 彼女の母親が務めていたという図書館と、その向かいにある教会を見学した。北欧ほどメルヘンチックではなく、けれどどこか現実離れした、歴史を感じるリトアニアの建物を僕は気に入った。頭の中に物語をぷかぷかと浮かべながら、話としての彩りが一番良い角度から写真を撮ってゆく。

時刻はすでに正午を回っていた。二人とも空腹を感じていたし、僕たちはそのまま彼女おすすめのレストランに向かった。
 「少し歩くんだけど、すごく内装もスタイリッシュでかわいいし、野菜が美味しいところだから」という彼女の言葉に、胸が鳴った。いや、腹が鳴ったのかもしれない。

 彼女に連れられて着いたレストランは、見るからに美味しい料理が出てきそうな店だった。
ミントグリーンの壁に黄色い花がよく映えていた。僕たちは靴を脱いで座る席を選び、時間をかけてメニューを吟味した。野菜のパイ、サラダ、大豆ミート、スープ……料理のメニューだけでも目を通すのに一苦労なほどの品揃えだった。彼女がおすすめの飲み物があるというので、まずはそれをオーダーする。

 運ばれてきたのは、生のレモン、ライム、ミントで作ったフレッシュなレモネードだった。人工的な甘さが全くない、クリアな味わいだった。こんなに美味いレモネードを飲んだのは生まれで初めてだった。さすがに彼女のように二杯目を注文する胃の余裕はなかったが。

 彼女はいつも通りだという、白菜とりんごとアボカドのサラダと焼きチーズのプレート、僕はハズレのなさそうなガーデンサラダを注文した。セロリは抜きだ。
僕も彼女も、セロリが大の苦手だ。いかに健康によくとも、あんなものを食べたら肉体的恩恵の前に精神的に参ってしまう。
ディルの散りばめられたサラダは、新鮮な野菜と手作りのレモンドレッシングが絶妙だった。

リトアニアの伝統的な、固くてやや酸っぱいパンも食べた。あまり酸っぱいパンは得意ではなかったが、要は慣れなのだ。僕たちはお互いの食べ物を少しずつ交換し合い、ゆっくりと味わった。会計は彼女が支払ってくれた。来月彼女が日本に来た時は、彼女に財布は出させないという約束をし、僕は彼女に甘えることにした。

 「最高に楽しい」彼女は僕を抱きしめた。

 「やっとあなたの口に合うものが見つかった。これで、リトアニアの思い出は『食えたものがなかった』じゃなくなるわね」

 「僕はここのパンとか野菜とか、好きだよ。あ、あと多分ピンクのスープも」僕は冗談を飛ばせるくらい上機嫌だった。

リトアニア建物

リトアニア風景
海外でこういう風景に出会うと、なんだか特別な場所を見つけたような気持ちになりませんか

レストラン外装

レストラン内装

サラダランチ
おいしくて新鮮な野菜たちでした

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【引きこもりの北欧紀行】第四章その15 下される鉄槌

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