【引きこもりの北欧紀行】第四章その16 リネンのドロンワーク

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Lithuania Day 10
 光陰矢のごとし。気づけば今日がリトアニアで過ごす最後の日だった。日本を出てすでに一ヶ月近くが経とうとしている。
これまでの傾向として、十日以上の海外旅行では必ず終盤で日本に帰りたくなる僕にとって、これは革命的な事実だった。
僕の中で何かが確実に変わろうとしている。ここでの生活を楽しめば楽しむほど、時間は早く過ぎる。皮肉といえば皮肉なものだ。

 5時起きの習慣はどこへやら、7時半頃にゆったりと目覚める。まだまだ今日はたっぷりと残っている。束の間自分を慰め、朝食を摂る。

 9時半頃に彼女と車で例の手芸店に出向いた。ここで上質なリネンの生地とレースの飾りを購入し、後は色とりどりの新鮮な野菜や果物がズラリと並ぶ市場で買い物を済ませた。今の時期はりんごがシーズンまっただ中で、どの店もこれでもかというほどうず高くりんごを積み上げていた。

 ここでちょっとした発見があった。というか、かなり驚いて大声を出してしまったほどだ。ある店の先に、大きなひまわりの花が置かれていた。とは言っても、ひまわりのチャームポイントである黄色い花びらは姿を消し、中身の黒い部分だけが残っていた。僕はこの、ひまわりの中の部分が苦手だ。

 遠くから見るとそれほどでもないが、近くで見るとおびただしい数の黒い虫がたかっているように見えてしまうのだ。
今日だって正直言ってあまり近づきたくはなかったが、食材の並ぶ中に奇妙に置かれているひまわりの化石的存在感に目を奪われてしまったのだ。

 「あ、ひまわりが置いてある。何のためだろう」と僕は何気なく彼女に話しかけた。

 「もちろん食べるためよ。おいしいんだから」

 「え?ひまわりを食べるのかい?種なら聞いたことあるけど」

 「そう。種を食べるの。だから種が置いてあるんじゃない」

 僕は一瞬彼女の意味するところがわからなかったが、目を近づけて合点がいった。

 「ああ!これ、種か!」
そう、無数の虫の集合体だと思われたその円形のブラックホールは、縦に行儀よく並んだ種の集まりだったのだ。
これは本当に知らなかった。彼女の周りでは常識らしいが、これは日本でも果たして常識なのだろうか。

僕は時折、常識だとされる知識が欠落していることでからかわれることがあるから、今回もその例に漏れないのかもしれない。「脱サラ」を「脱サラ金」だと思い込んでいたという恥ずかしい話は、未だにことあるごとに母親に掘り返される。そういうわけで、今日も一つ勉強になりました。

 お昼前に家に到着し、市場で購入したあまり甘くない西瓜と、ドリップとインスタントの間のコーヒーと、昨日彼女が作ってくれたケーキを食べた。ラズベリーといちごのたっぷりはいったケーキは、甘すぎずに本当に美味しかった。
彼女が目の前で例のピンクスープを食べ出し、そのあまりに人工的な色合いに僕はまたもコメントせずにはいられないのだった。

 「ペンキみたいだ」
 「あら、これは赤いビーツと牛乳よ。正真正銘、自然由来の食べ物です。いや、もしかしてお母さんが何か着色料でも入れたのかな?」
そういう彼女に、母親は微笑んでケーキを食べていた。あれ、食事制限しているんじゃなかったのか。僕は食べることを何よりも愛する僕の母親の事を思い出していた。

 さて。僕のここでの最後の一大プロジェクトが始まろうとしていた。
僕は、リトアニアのリネンを使ってテーブルランナーを作ろうとしていたのだ。

テーブルランナーというのは、テーブルクロスを縦に1/3くらいにしたもので、テーブルにアクセントを持たせるのにうってつけのアイテムだ。もっとも、昨日ネットで調べて知ったのだけれど。

 「ねぇ、昨日街で見た、あのギザギザのテクスチャーを作りたい?すごく簡単よ」
 「もちろん。できるのかい?」

 僕たちは昨日、街に出かけた時にあるリネンの縫い物を目にしていた。

それは、リネンの生地を二枚つなぎあわせたような格好で、その繋ぎ目がその作品に高級感と柔らかさと上品さをプラスしていた。
リネンの生地に気まぐれな蝶が止まっているかのような、あるいは天使がハープを奏でているかのような、そんな具合だった。
あれが手作りで簡単に再現できるのであれば、こんな嬉しいことはない。

普通のテーブルクロスの場合、小一時間ほどで完成するという情報を得ていた僕は、彼女の言葉を鵜呑みにして二つ返事で賛成した。これが後に僕の睡眠不足を招くことになる。

 それから彼女はしばらくそのやり方を、自分の小さいころの記憶から探しだそうとしていた。

 「うーん、違うなぁ。うまくできない。忘れちゃったかな?調べたほうがいいかな?」

 ひとしきりブツブツ言った後で気が済んだ彼女は、ついに検索を始めた。縫い方の名前がわからなかったらしく、色々な言葉を検索窓にはめ込んで試行錯誤している彼女を見て、僕も日本語で探してみることにした。

 「あった。これだ。ドロンワークだって」僕が先に見つけた。

 「え?ドロンワーク?ちょっと待って……んー、ない。どんなスペル?」

 「D-R-A-W-N work」

 「ああ!drawn work! That’ why I didn’t find it! Drawn thread work, right?」
彼女は興奮すると決まって早口の英語でまくしたてる。

 そう言うと彼女は、直ちにドロンワークのいいチュートリアルをいくつか見つけてきた。中には古い書物のPDFデータも含まれていた。さすがだ。世の中には、英語の方がたくさんのいい情報が見つかるみたいだ。

 「Aw, alright. This is what I forgot….OK, できると思う。やってみよ?」と彼女は言う。よくそんなにすぐに言語を切り替えられるものだ、全く。

 裁縫にからっきし自信がない僕は、彼女と一緒にああでもないこうでもないと言いながらも、大きな生地を切り始める。

2メートルの生地は僕が想像していたよりもずっと長かった。
そしてドロンワークというものは、二枚の生地を縫い合わせたものなどではなかった。その作り方は僕にとって非常に興味深いものだったので、特筆しておきたい。今回僕が挑戦したのはかなりベーシックな初心者向けのものだったが、ドロンワークの歴史はかなり深く、地域によって縫い方やかがり方に特徴があるようだ。

 まず、模様を作りたい位置を決めたら、網目に沿って糸を抜いていく。
布は糸を縦横に縫い合わせたものだから、一定の方向に糸を抜き続けると、すだれのような糸の集まりが姿を見せる。
リネンは比較的かたい糸のため、この糸を抜く作業が実に快感だった。
はじめは確かに細かく根気のいる作業だが、ある一定ラインを超えるとスルスルと面白いように糸が抜けていく。
抜きすぎてしまわないように気をつけなければならないほどだった。次に、その糸を十本ずつくらいかがり、その上下を糸で結んでゆく。最後に、その束の中心を、二本ずつが交わるように糸を通せば完成だ。

 僕は今かなり驚いている。文章にすると、これほどまでに短くなってしまうのか。確かに作業はシンプルだが、40cm幅のドロンワークを二本作るのに、僕はほとんど休みなしで6時間を費やした。背中はズキズキ痛んだし、手も腱鞘炎の寸前まで使い込んだ。

 その間彼女は僕をサポートしながらも、同じ時期に日本に留学していた古い友人たちと、毎週恒例だというオンライン通話を数時間に渡り楽しんでいた。彼らの中では、今それぞれに役を割り当てて仮想のRPGごっこをするのが流行っているらしい。

それにしても、大きく時差のある世界中の友人が、毎週同じ時間にこれほどまでの長い時間を共有できるなんて、僕にとってはちょっとした驚きだった。きっと日本人なら、そのお得意の「忙しさ」が壁となってこんな風に友情を保ち続けることは難しいのではなかろうか。

 夕食も彼女の部屋で片手間で済ませてしまった。もうほとんど時間の感覚を失っていたが、少なくとも二本の映画が上映されていたように思う。

 ドロンワークが終わってしまえばあとはもう簡単だった。四辺を折り込み、ミシンにかければ一丁上がりだ。
実を言うと、これにレースの飾りをつけて、あわよくば余った布で何か作るところまでを想定していた僕は、つくづく自分の読みの甘さとドロンワークへの敬愛を心に刻んだ。

ちょうどテーブルランナーが完成したところで、彼女の両親がドアをノックした。僕に別れの挨拶を言いに来てくれたのだ。僕はまずそのテーブルランナーを見せ、ひと通り賞賛の言葉をもらってから彼らとの最後の会話を楽しんだ。

 別れの挨拶が苦手だ。

寂しい気持ちと、いつでもオンラインで連絡が取れるからと自分を慰める気持ちと、何を言ったらいいかわからない戸惑いと、彼らへの愛情とで僕の心は混濁する。

彼女の両親がいつか日本に来てくれることを願いながら、僕たちはハグを交わした。

 「君たち二人もそろそろ寝るべきだね」彼女の父親が言った。

 「はい。もう寝ます。わかっているんですけど、つい」

 僕にはこのあと、パッキングと彼女への手紙を書くという任務があるのだ。そうしてリトアニア最後の夜は更けていった。

リトアニアの市場
日本にもこんな野菜市がほしいなあ

ラズベリーケーキ
甘酸っぱくて、おいしかったです。
コーヒーは相変わらず、豆を挽いたものをドリップせずにそのままお湯に入れて飲む、つぶつぶスタイル。

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【引きこもりの北欧紀行】第五章その1 フィンランド 日本での家族とここでの家族

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