【引きこもりの北欧紀行】第五章その4 うどん。そして異国の姉弟関係

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Second Finland Day2
 今朝、僕たち姉弟はかなり遅くまで眠っていた。僕は基本的に朝型人間だが、たまには僕だって長く眠る。人間そう規則正しくはできていないのだ。

 今日は特に何もすることがない。こういう日が僕は最高に好きだ。何と言っても、僕は典型的な内向型人間なのだ。いくらでも家の中で幸せな時間を過ごせる。

 いつものようにシンプルな朝ごはんを時間をかけて食べ、昼までの短い時間を書き物に充てた。昼も朝と同じようなメニューだった。パン、サラダ、チーズが種類豊富にテイクフリーだ。僕の最も好きな類の食事だ。そして奇跡的に、まだ飽きてはいない。

ある種の日本人は、毎日あまりに違った種類の食事を求めすぎる気がする。

 ランチを終えた頃、彼女の友人が家にやってきた。
真っ赤なマツダ(マズダと綴っていることに最近気付いた)のスポーツカーに乗った彼女は、車に似合わずとても温厚で柔らかい印象の持ち主だった。彼女のマシュマロのような体型がその印象をより濃くしていた。

僕たちは明日、ヘルシンキの中心に出掛ける。彼女も僕たちと一緒に街へ行くのだそうだ。
彼女は熱心に、明日のランチのためのレストランを検索し、明日の観光情報を集めてくれた。とてもいい人だった。

 僕たちはその間、うどんを手打ちすることにした。本当は乾麺を茹でるだけのつもりだったのだけれど、弟がうどんを打ちたいと言ったのだ。
粉は全粒粉だったけれどオーガニックだったし、秤はかなり年期の入ったほとんどアンティークみたいな代物だったけれど、何だかカッコ良かった。何かを得るためには、何かを諦めねばならない。

うどんをこねたり踏んだり、そういう作業は弟が引き受けた。そうこうしているうちに、僕の胃が痛み出した。正確には、胃というよりは腸に近い部分だ。

 原因はあらゆるところに散らばっていた。昨日の天ぷらかもしれないし、生のグリーンピースかも知れないし、便秘のせいかもしれない。もしくは僕の生理が遅れていることも関係があるのかもしれない。あるいはその全部が原因か、ただの気まぐれということもありうる。とにかく僕の腹はどんどん悪い方向に向かっていた。

 彼らに断って、僕は部屋で横になることにした。弟が胃腸薬を日本から持ってきてくれていたのは、不幸中の幸いだった。彼らに心配をかけたくはなかったが、温かい白湯を作ってくれたり、カイロのようなものをくれたり、やはり優しいのだった。

 そうして午後三時半に、二度目の昼食が始まった。

 仕事から帰った彼女の夫はまだ昼食を摂っていなかったらしく、残りの人びとも場の流れで、一緒に食事を摂るようだった。僕は丁重にお断りしたが、弟は実に美味い白身魚をご馳走になったらしい。なんとも羨ましい限りだ。

 しばらく横になっていると、僕の腹の痛みは何とか治まってきた。何より僕は、残り少ない貴重な時間をベッドの中で過ごしたくはなかった。彼らにこれ以上心配をかけるのもごめんだった。

 キッチンでは、弟がうどんを伸ばす作業を始めていた。僕はしばらくそれを眺めていたが、かなりの時間がかかりそうだったのと、そのあまりのハードワークぶりに思わず援助を申し出た。彼がうどんを伸ばし、僕がうどんを切る。彼がうどんを茹で、僕がうどんのスープを作る。そうして今日も、見事に日本食の夕食になった。

 二度目のランチは完全に誤算だったため、僕たちは九人前のうどんを作っていた。僕たち家族は五人だ。フィンランドの人が日本人よりもよく食べることを加味しても、多すぎる。

ほとんど確実に余ることを想定しながらも、僕たちはよく食べた。
昨日の天ぷらと、天かすもうどんに付け添えた。僕はさすがに、天ぷらは遠慮したけれど。

手作りのうどんと温かなスープは僕の胃に優しかったし、その味は、僕を深く温かく柔らかなソファーの中へ引き込んでいくようだった。もちろん店の味には敵わないが、充分に「食べられる」うどんだった。
そして彼らは今日もまた、僕たちを過剰に褒めちぎり、僕たちを嬉しくさせてくれるのだった。

 僕はここに来て、少しだけ外向的人間になりつつあった。インドアであることには変わりないのだが、彼女の夫のおかげで冗談を言うことを覚え始めていたし、前よりもよく笑い、よく喋るようになった。
実際僕は、数週間前よりもかなりハッピー野郎になっている気がする。

 明日のヘルシンキのために、今日は西瓜もコーヒーもビールもやめておくことにした。明日の夜、全部を食べてやろう。そう決めて今日だけは腹を労ることに気を遣ってやる。

 夕食後、急激な気温低下と変わりやすい天気のせいですっかり冷えてしまった僕の体を、今日もまた例の素敵なサウナで温めた。僕は確かに日本の風呂を恋しく思ったけれど、こっちのサウナだって負けていない。それに、この時期の日本はあまりに暑くて、とても湯船に長く浸かってなどいられないのだ。

 サウナから上がると、僕は弟にある忠告をした。ここのところ、胸の中で悶々と溜め込んでいた言葉は、矢継ぎ早に僕の口をついて出てきた。その内容は、こんな調子だ。

 英語がわからないのは一向にかまわない。恥ずかしいことでも何でもない。僕も初めての海外はそうだった。けれど、僕や彼らが言っていることがわからなければ、そう言って欲しい。彼がカッコつけてわかっているふりをすることで、僕も友人たちもしばしば混乱してしまうのだ。そして、僕は何度も英語で話しかけた挙句、全てを翻訳する羽目になる。僕はここで、弟に仏の顔で接していたつもりだが、もう既に「仏の顔も八度まで」くらいまでは来ていた。

 それに対し、弟が答えた内容に僕は耳を疑った。
なんと弟は、自分はいつもすべてを理解しており、ただ疲れて答えるのが面倒なだけなのだとのたまった。

僕は呆れてものが言えず、もうこれ以上彼と議論を交わすのはやめにすることにした。あと一週間、僕はただできるだけハッピーに過ごしたいのだ。こんなことで腹を立てるのは、時間の無駄というものだ。

それでもどうにもやりきれなくなって、僕の人生のカウンセラーである妹に洗いざらいの愚痴をこぼし、何とか弟がサウナでビールを嗜む間に気持ちを鎮めた。
友人がバナナと卵抜きのスムージーを作ってくれたことも、僕の心をうまく鎮めるのを手伝ってくれた。

うどん
せっせと打ったうどん。

夕食
うどんはぶよぶよしていたけれど、日本の味はやはり何物にも変え難かった。

天ぷらうどん
天ぷらうどんにする。

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【引きこもりの北欧紀行】第五章その5 フォークの地下鉄

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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