【引きこもりの北欧紀行】第五章その9 世界一長い机の寂寥

あらすじを読む 【引きこもりの北欧紀行】 〜あらすじ〜
はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
旅のしおりを見る
【引きこもりの北欧紀行】第二章その1 ゴットランド島 憧れの魔女の島へ
【引きこもりの北欧紀行】第三章その1 フィンランド 第二の故郷
【引きこもりの北欧紀行】第四章その1 リトアニア 学生時代への回帰とそれぞれの成長
【引きこもりの北欧紀行】第五章その1 フィンランド 日本での家族とここでの家族

Second Finland Day 5
 パーティー翌日に特有の朝の空気がそこら中に漂っていた。

完全なる静寂と、ほのかな残り香のようなもの。
まだ夢の中に浮かんでいるようなパステルカラーの花畑の中で抱える、気だるく重い胃とほんの少しの罪悪感。

僕は夜中から朝方にかけて何度も目を覚ましたが、誰も起きてくる気配はなかったし、僕自身も起き上がる気分ではなかった。
それでも十時頃には皆起きだし、新しい一日をクリアに始めようとしていた。僕はといえば、長すぎるふんどしを誰かに踏みつけられているみたいに、昨日の酔いを引き摺っていた。

やっとのことで十一時頃に起きだした時、部屋ではフィンランドの有名な歌手のロックミュージックがかかっていた。

 「まるで世界の終わりみたいな音がするね」ガンガンと響く頭を抱えながら、僕は言った。

 「あなたにとっては、多分そうね。もう一回聞きたい?」酒を飲まなかった彼女は、いたって元気そうだった。

 「いや、遠慮しておくよ。これからシャワーを浴びさせてもらっていいかな? 出かける前にスッキリしておきたい」

 「もちろん。もしそういう気分じゃなかったら、出掛けなくてもいいのよ」

 「いや、行こう」

 今日僕たちは、Loviisa(ロビーサ)という小さなオールドタウンで開催される、ささやかなイベントに参加するつもりでいた。
これから数日間家に引きこもる予定の僕としては、今日はぜひとも出掛けたかった。

 すばやくシャワーを浴び、何とか食べ物を胃に押し込むと、少し元気が出てきた。それから彼女の髪をプリンセスのように仕立て上げ、支度をして車に乗り込んだ。

 いつもとは反対の方向へ進むこと小一時間。スウェーデン語を話すフィンランド人が多く住むというその地域には、通りの名前がスウェーデン語とフィンランド語の両方で書いてあった。
かつてスウェーデンの一部だったフィンランドには、未だに至る所にこういった場所が存在する。彼女は彼らのことを「スウェディッシュフィニッシュ(スウェーデン人フィンランド人)」と呼んだ。

 その小さな街は突然現れた。どこまでも一本道が続いていたフィンランドの田舎道が終わり、背の高い教会やビルが姿を見せた。
今日はそれに加わってたくさんのテントが立ち並び、地元の人達がフリーマーケットを繰り広げていた。

 「多分、今日ここに来ている海外の人はあなた達だけだと思うわ」と彼女は言った。

 「どうして? かなり観光客にも人気がありそうなイベントだけれど。一年に二日だけ行われる、小洒落たオールドタウンでのフリーマーケットイベントなんて、聞いただけでも素敵だ」

 「そうなのよ。だから、もうフィンランド人だけで充分混雑しちゃうわけ。これで海外の人なんて来たら、もうパンクしちゃうわ。だから、このイベントのことを英語で見つけるのはとっても難しいのよ」

 「僕たち姉弟はラッキーなんだね。どうもありがとう」

 さらにラッキーな事に、僕たちは近くに無料の駐車場が一台分だけ空いているのを見つけた。外はかなり寒く、そのためかイベントはそれほど混雑していなかった。

 僕たちはまず、大きな教会の中から始めることにした。そこには数多くのアンティーク品が並び、彼女と僕の弟は、そこで古いブランド物のサバイバルナイフを購入していた。
それは、物語の中で海賊が腰に指してロープを切るのに使っていそうなものだった。

彼女と弟は、フリーマーケットを物色したり、買い物をしたりするのが大好きだという点で、すごく似ていた。
おかげで僕は、はぐれないように二人ともに目を凝らしていればよかった。
あらゆるものがありすぎるフリーマーケットで、ものを見なくても良いというのは、僕としては実を言うとありがたいことだった。

 それから僕たちは細い道を行き、街中の家の前で繰り広げられるフリーマーケットに足を踏み入れた。

街の内部は、外から見るのとはかなり様子が違っていた。石畳の道にカラフルな色の家がズラリと並び、その前に住人たちが即席の店を構えていた。中には子供たちだけで店を切り盛りしているものもあった。
少し中に入らなければわからないような立地の家には、「→キッピス」と表示があった。

 「キッピス? フィンランド語で乾杯ってことだよね?」そう問いかける僕に、彼女は笑って答えた。

 「違うわよ。キルピス。蚤の市ってことよ。キッピスよりもずっといい響き」

 「僕はキッピスのほうが好きだけど」赤ワインの味を覚えてしまった僕は、ニヤリとしながら返した。

 外はやけに寒く、僕はとうの昔から凍え始めていた。皆で熱いコーヒーを飲みながら歩いたが、それはほとんど何の助けにもならなかった。ついには弟も寒がり始め、僕は鼻を垂れ流していた。

彼女は全ての店を僕に見せたがり、僕たちは街をぐるりと歩いた。このイベントのために作られたという、全長1.3kmにも及ぶ文字通り世界一長い机には、その寒さのためか誰一人として腰掛けているものはいなかった。

 「同情しちゃう。いつもはこんなに寒くないのよ。海風のせいもあるんでしょうね」と彼女は海岸沿いにどこまでも続くその机を見て言った。

 「きっと作るのも大変だったろうね。僕もここがもう少し暖かかったらって思うよ」

 そして僕の手に触れた彼女は、その冷たさに驚いて一軒のレストランでホットチョコレートドリンクを買ってくれた。
何よりそのレストランは暖かく、僕はやっと、何もかもが無に帰してしまう氷の世界から戻ってきた。それはまるで冬の到来そのものだった。

それから僕たちは近くのスーパーマーケットで買い物を済ませ、車で家に帰った。彼女と弟は腹を空かせ、僕は完全に風邪を引いてしまった。

 「早く。できるだけ服をたくさん着てね。今あなたの弟がサウナに火を起こしてくれているから」
彼女はそう言って、僕を毛布でぐるぐる巻きにした。
まるで食欲はなかったが、何か食べないことには事態はもっと悪くなってしまうだろう。まだ朝からロクに食べていなかったのだ。

とにかく栄養になりそうなパンやスープや果物を食べ、そのままサウナに直行した。ずっと中に座っていると、体中から悪い汗が吹き出て、すっかり温まった。暑いくらいだった。

 それから彼女は、クリスマスのためのホットワインを温めてくれた。それは僕に、前回ここを訪れた冬のことを想い起こさせた。

グロッギ。

それがそのホットワインに付けられた名前だ。寒い冬には、レーズンやナッツを入れて飲むのだ。アルコール度数15度のそれは、お湯で薄めてもかなり強く、僕の身体に温かさを閉じ込めておいてくれた。北欧の夏は、終わったのだ。

繁み
どちらかと言うと、こういう「ぽつねん」と現れる繁みなんかに目を奪われるほうです

蚤の市
アメリカの年代物の車がやたらと幅を利かせていた

ギネス机の長さ
ギネス記録に挑戦したという、世界一長い机

うらさびしい景色
天気のせいもあってか、どこかうら寂しいLoviisaだった

↓続きを読む
【引きこもりの北欧紀行】第五章その10 遠くにいる妹

ブログ運営者

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍、ペーパーバック(紙の書籍でお届け。POD=プリントオンデマンドを利用)
販売価格:電子書籍450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)、ペーパーバック2,420円

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。