【引きこもりの北欧紀行】第五章その11 留守を守る男たちと、小さな蛸

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Second Finland Day 7
 風邪が悪化している。昨日は午後十一時頃まで書き物をし、それから九時間か十時間は眠ったことになる。
この狂ったような天候が、僕の身体に何らかの仕掛けをしているように思われる。
のろのろと起きだし、朝食を摂りながら仕事をした。

誰かと一緒に食べるのでなければ、何かをしながら食事をしたほうが、ゆったりとした気持ちで食事を進められるのだ。
先に起きていた彼女の夫が、はちみつのたっぷり入ったホワイトティーを大きなコップに二杯分作ってくれた。こんな日には、コーヒーなんて飲めたものじゃない。

 それから彼は、近くの街へ車で買い物に出かけた。今日、僕は一日家で過ごしたほうが良さそうだ。取り立ててやることもないが、そういう日だってもう少しで終わってしまう。

 一念発起して、料理を始めることにした。彼らに何かしら、日本的な味のものを作るという約束をしていたのだ。家にある使えそうな野菜は、じゃがいもと玉ねぎと人参、それにしなびたキャベツ。

まず、僕は肉じゃがならぬツナじゃがを作ることにした。たまたまツナ缶を見つけたのはラッキーだった。日本のものとは全く異なる皮むき器と缶切りを何とか見つけ出し、持ってきためんつゆを拝借して、ツナじゃがが完成した。

ここのツナはかなり風味が強く、何だか食感もぼそぼそしていたから、想像していたものとは程遠い結果となってしまった。それに、彼女の夫が茹でた人参が大嫌いなのを今思い出した。気を取り直して、ソース焼きうどんを作ることにした。

ごそごそと麺類のあるカゴを探るが、持ってきたはずのうどんが見当たらない。代わりに生の米を何種類か見つけた。タイ米、日本米の区別はついたが、どうも用途によって使う米が異なるらしく、僕は困惑した。

しかも全てがフィンランド語なのだから、何が何かわかりゃしない。
結局、最初に目についたものを取り、鍋に適当に水を入れてぐつぐつやることにした。

この時点で嫌な予感はそこら中に蔓延していた。どうしてそうまでして、料理なんてしたのだろう? 
僕はきっと、具合でも悪かったのだ。

そして、なんとこの家にはフライパンがなかった。なんとなく米が炊きあがった様子なのを見計らい(というか水分が飛んだタイミング)、刻んだ玉ねぎとキャベツをぶちこんだ。残り物のミートローフとチーズも投入し、後はお好みソースで味をつければ、何かよくわからないゲテモノのようなものができあがった。

僕はすっかり意気消沈し、缶詰の豆のスープを温めた。フィンランドでの僕の好物だ。これが一番美味しかった。

悲しい。

日本では、結構料理の腕を認められているだけあって、僕は自分が弘法ではなく筆を選びまくる料理人なのだと実感させられた。

 僕が昼食を終えた頃、彼女の夫が帰宅した。僕は部屋に戻ってパソコン作業の続きをしていたが、どうにもこうにも具合が悪く、再び横になった。朝から鼻をかみ続けたせいで鼻血が出てきたし、熱も上がってきた。眠くなんてこれっぽっちもなかったけれど、安静にしているしかなかった。

午後五時頃、彼女の夫が夕食の支度をしてくれた。僕のたんぱく質不足を心配し、塩辛くない白身魚を焼いてくれた。香ばしく焼きあがったそれは、実に美味かった。それに僕は、そこそこ腹も減っていた。きっと僕は良くなりつつあるのだろう。それから僕たちは、例によって人生について語った。男のロマンだ。

 「君の弟がフィンランドについてどう思っているか、聞いたかい?」

 「彼は随分楽しんでいるようですよ。それに、今回の旅行は彼にとって完全に守られたものですから。ただ、彼がこうしてじっくり考える時間を持てたというのは、彼にとって良いことだったと思います。日本にいる時は、授業やバイト、サークルなんかで忙しくて、考える暇もないですから」

 「それ、聞いたよ。会社員として働いているわけでもないのに、日本の学生は随分と忙しいそうだね」

 「そうなんです。僕もそうでした。少なくとも日本の場合、大抵の人間はじっくり考える間もなく卒業し、そのまま人生を突っ切って行くんです。何が自分にとって大切なのか、自分とは誰なのかを考える間もなくね。ある意味では、そのほうがずっと楽なんです。自分とはなにかを深く考えることに終わりはないですから」

 「海外に来ると、違ったものの見方ができるようになる。それはきっといいことだよね。けれど、フィンランドでは時間があり余りすぎて、それで犯罪が増えたりもするんだ」

 「どちらがいいとは言えないのかもしれませんね。それでも、何も考えずに突っ切ってきた人間が、ふと立ち止まって自分の人生を振り返った時、それはしばしば精神的な問題を引き起こす種になるんです」

 「フィンランドでも同じような問題が起きているよ。誰もが病んでいる。それに、誰もが金を崇拝していることは本当に恐ろしい」

 「自分にとって大切なものがわからない時、金は大切なものの候補に入れるのに実に簡単な選択肢になりうる」

 「そのとおりだよ。そしてそれはとても悲しいことだ。金があれば、確かにある種のことはできる。それでも、自分の健康や家族の愛には勝てない」

 「金を求めるのは、生きるのに随分なお金がかかるから、でしょうね。それにしても、日本は学費が本当に高い」

 「いくらくらいか聞いてもいいかい?」

 「私学だと、年間100万くらいするところもあります」

 「本当かい。四年通うくらいのお金を出せば、フィンランドでかなりいい家が買えてしまうよ」彼は相当に驚いていたようだった。

 「それに、僕たちは三人姉弟だ。父にもっと感謝しなくちゃいけませんね。それにしても、フィンランドの家はそんなにも安いんですか?」

 「家を越すことを考えているんだ。もっと田舎の方にね」

 「素敵じゃないですか。ここも充分に良い土地だと思いますけれど」

 「ここの家は、二人で住むには広すぎる。今は三人だけれど。それに、毎月のローンだってバカにならない。ここを売って、どこか田舎の安い土地へ移って、そこで農業を始めようと思うんだ」

 「農業ですか。それはいい。彼女も今、学校で農業を勉強しているんですよね。それに、これから何が起こるかわかりませんから。自分の食料を自分で確保できる農家という立場は、いわば王のようなものですよ」

 「そうなんだ。まさにそれが僕たちの恐れていることだ。世界はそこまで悪くはならないかもしれないが、もし戦争にでもなって店から食べ物が消えてしまったら、金なんてもう何の価値もなくなる」

 「第二次世界大戦の時の日本は、まさにそういう状況でした。ありえないことではないですよ」

 「戦争は起こりうる。くそ、ロシアは一体何を考えてるんだ」

 「何十年か後、世界はどうなってしまうんでしょう」

 僕たちは夕食の席で随分と長く話をした。あたりには、彼が小さなタコを醤油で炒めた時の残り香が漂っていた。タコを食べるヨーロッパ人は、実は結構珍しい。それは彼の特異な考え方を象徴しているのかもしれない。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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