【引きこもりの北欧紀行】第五章その15 天国へのあこがれ、所有すること

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 デザートの間に、友人の夫がサウナを温めてくれていた。叔母さんは、家から歩いて少しだけ下ったところにサウナハウスを持っていた。
僕が充分に住めてしまうくらいの広さを持ったそのサウナは、彼女の家のサウナよりもずっと大きかった。
僕は明日の帰国を前に風邪をこれ以上こじらせたくはなかったから、残念ながら遠慮することにした。それでもサウナに隣接する部屋に座っているだけでも、充分に暖かかった。そこは家の中よりも海に近く、景色を楽しむには最高の場所だった。

 彼女と叔母さんはまずはサウナで温まり、それからサウナを飛び出した。裸のまま。そして、あろうことか海に飛び込んだのだ。70度のサウナから、水温15度の海へ。裸のまま。僕は自分の目が信じられなかった。

 「つめたーい! でも、こうしなくちゃならないの。これが伝統だから」と、飛び込むまでかなり躊躇していた彼女は言った。

 「あなたが一緒に入れなくて残念だわ」と、早々に海へ飛び込み、余裕の笑顔でバスタオルに身を包んでいた叔母さんは僕に言った。

僕は心底、風邪を引いていて本当にラッキーだったと思った。想像しただけでも肌にブツブツができ、すっかり鳥肌になってしまった。
 「ねえ、こっちにいらっしゃい」

 叔母さんはバスタオルのまま、僕を別の場所へ導いた。僕は寒くないのかと心配になりながらも、素直に着いて行った。そこは、ボートをしまっておくためのボートハウスだった。ここに僕が六人は住めそうだった。なぜかそこにはプライベートバーが設置されており、特大のボートが三艇構えていた。

 「あなたたちは、文字通り全てを持っている人たちなんですね」と、僕は包み隠さずに言った。

 「そう言っていいでしょうね」と彼女は自慢する風でもなく、かと言って、なにもかもを諦めた風でもなく言った。

 「とは言っても、全て夫の財産だから。彼は物を買いたがる人なの。それでも彼は物を買う前に私の意見を聞くのよ。君はどう思うのかって」

 「大切にされているんですね」

 そうして僕はまた例の暖かい部屋に戻り、彼女たちは再びサウナへ入っていった。叔母さんに会う前に、彼女から叔母さん夫婦について色々な話を聞いていた。
叔母さんの夫の家系のこと、彼らがスイスやラップランドにいくつも豪華な別荘を持っていること。
もっと驚くべきことに、とは言っても彼らにはついでみたいなものらしいが、家から海を挟んで、島をまるごと所有しているらしい。

ただでさえ、家の敷地内にいくつも、いくつも、家があるのだ。
夫が家にいないほとんどの時間を、料理と旅行好きの叔母さんはここで、一人で過ごすのだ。
けれど叔母さんは、幸福に満ちた生活を送っているように見えた。

映画やドラマなら、こういう貴婦人は往々にして精神的に不幸な生活を送っているものだ。
やっぱりここは、現実だった。僕にはとても想像がつかなかったし、ちょっと手に負えそうにもなかった。
ただでさえ、シンプルな生活が好きなのだ。リビングルームの無数の食器を目にしただけで、めまいを起こしそうになった。僕は多くを望まない。その代わり、自分だけの静かな時間が欲しい。

 彼女の夫と、僕の弟がサウナに行っている間、僕と彼女と叔母さんはリビングで寛いでいた。この家は、掃除どころか部屋を行き来するだけで一仕事になってしまいそうだった。

 僕は喉が痛かったので紅茶を、後の二人はコーヒーを飲んだ。そして、叔母さんが作ってくれたりんごのケーキに、バニラソースをかけて食べた。天国って、こういうところなのかもしれない。
本当にそうなら、天国って全然悪くない。

けれど、そうじゃないかもしれない。天国への憧れは、死への恐怖を紛らわせるために使うことはできても、生から逃れるために使われるべきではないのだ。

 叔母さんは、ペルーへ旅行した時の話をしてくれた。スウェーデンで働いていたことのある叔母さんは、トリリンガルだ。現地のスウェーデン語ガイドが話す間違った文法にうんざりしたり、英語の流暢な親切なガイドにほとんど恋をしそうになったことなど。

 「もう忘れたわ。でも、本当に久しぶりにときめいたの。夫にも話したけれどね」と言う叔母さんは、まるで少女のようだった。

 「若いですね、叔母さん」と僕は言った。

 「何言ってるのよ。あなたまだ24でしょ?これからじゃない」

 「僕は、なんというか、男っぽいところがあって。うまく恋愛ができないんです」

 「そうなのよ。」彼女が横から叔母さんに話しかける。

 「この人ともう随分たくさん話したわ。叔母さん、愛するってどういうことかわかるでしょ? どこにいても何をしていても、その人のことが気になるの」

 「この人は、そういうことがうまくできないみたいなの。私と服を買いに行くのにも全く興味を示さないし、むしろこの人の弟の方が買い物好きなくらいだし」

 「あら、それは大変」

 「そうだね、きっと僕は男なんだと思う」
 そこで一旦笑いを取ってから、彼女の「ねぇ、シェアしない?」の一言で僕たちはもう一つのケーキに取り掛かった。

 男性陣たちが帰ってくると、話の性質がコロリと変わった。

きっとさっきまでのやつが、ガールズトークなのだ。
僕はきっと、いつか女性的感覚を獲得できるはずだ。本能的なところでは、僕は女性寄りなのだと思う。それが表面に向かうに従って男性的になり、中心でぶつかり合っているのだ。もう少し時を待とう。

 すっかり話し込んでしまい、叔母さんと熱いハグを交わして別れを言った時には、すでに六時前だった。僕たちは急いで車に乗り、高速道路を使って(もちろん無料)、家路についた。

 家に着くやいなや、あの王国のような非日常から解き放たれ、一気に疲労が襲ってきた。ここにいることも確かに非日常であることに違いはないのだが、それでも慣れた家に帰ってくるというのはやはりいいものだ。気が緩んだのか、急に熱っぽさがぶりかえしてきた。僕はパジャマに着替え、まだ満腹の弟とともにほとんど就寝体制に入っていた。ところが彼女が部屋の外から声を掛けてきた。

 「ねぇ、何か食べない?」

 彼女は一度にたくさんのものを食べることを嫌がる。そしてほとんどベジタリアンに近い。そのためにすぐに腹が減ってしまうのだ。僕たちも朝ごはんにありつけるまでに半日ほど空いてしまうことになるし、何かしら軽く食べておこうかということになった。

腹も減っていなかったし、すぐに寝るのだからということで、朝食と全く同じメニューに少しのパンを加えたメニューになった。恐らくここで食べる最後のパンは、今日買ったばかりの僕の好みのパンだった。そうして最後に残しておいた風邪薬を一錠飲み、眠りについた。

ひまわり
日本と同じようなひまわりが、唯一現実感を持っていたと言っても過言ではない。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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