カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜

3月11日早朝。快晴。気温はやや低い。
 この日、僕と妹と伯母(母の姉にあたる)はカナダのトロントへ向かう飛行機に乗るために、伊丹空港に向かっていた。とは言っても、東京とワシントンで二度乗り換えがあるため、行き先がトロントになるのは随分あとの話なのだが。この日のために、2週間ほど休まず仕事をこなしてきた。比較的スケジュールが自由になる会社のため、やることさえこなしておけば、また引き継ぎさえしっかりしていれば、好きな時に長期休暇を取らせてもらえるのだ。その分、結構キツイ時もなくはないけれど。

 苦手な離陸の数分間に耐えた後、行きの飛行機では持ち込んだパンを朝食に食べた。母の実家がある宝塚に数店舗を構える『パンネル』は、家族揃って大好きなパン屋さんだ。母は結婚した時に、大阪にあまりにも美味しいパン屋さんとケーキ屋さんがないもので、随分がっかりしたのだという。僕のお気に入りは「天然酵母のパン」である。ぎっしりと身の詰まったパンは、噛みしめるほど優しい甘さが際立ち、たまらなくうまい。
 母や伯母は「くるみフランスパン」に首ったけだし、妹はここのタマゴパンは世界一だと豪語する。やはり好みは十人十色なのだ。他にももちろんオススメはあるが、機会があればぜひ一度足を運んでみて欲しい。平日は6時から営業している(しかも焼きたてのパンがズラリと並んでいる)から、職人さんたちには全く頭が下がる。

 成田での乗り換えは、驚くほどスムーズに済んだ。この調子ならトロントまでもあっという間だろう。ワシントン行きの飛行機に乗り込めば、あとはワシントンまで12時間ほど。読書なり映画鑑賞なり好きなことをしながらのんびりと過ごしていれば良いのである。
使用した飛行機は全日空だったのだが、さすがのサービスクオリティに脱帽した。ここまで至れり尽くせりだと、自分がなにか偉い人間にでもなったような気分になる。特に僕が舌を巻いたのは、昼食のデザートにハーゲンダッツが出てきたことだ。

 それぞれ思いのままに、映画を見たり本を読んだりして過ごしていたが、5時間6時間あたりから様子がおかしくなってきた。腰や肩をはじめ、とにかく全身が痛んでどうにもこうにも行かなくなってきたのだ。気休めに手洗いまで遠回りして歩いてみるものの一向に改善は見られず、さらに追い打ちをかけるかのごとく、こともあろうか僕は乗り物酔いをおこし始めてしまっていた。隣の妹はひどく尾てい骨が痛むと訴えていた。海外出張が全くない会社に就職したことを今日ほどありがたく思った日はない。なんとかかんとか宥(なだ)めすかして、一睡もせずにワシントンに到着したころ、僕たちは皆ボロ雑巾のようにくたびれ、疲れきっていた。日本ではそろそろ日付が変わる時刻だ。しかし僕たちの今日は時差の関係で37時間もあるのだ。体は眠気を訴えている一方で、爽やかな朝陽が僕らを混乱させた。加えてワシントンでの乗り継ぎも骨が折れる仕事だった。アメリカでは、乗り継ぎだけの客にも入国検査や出国検査が執り行われる。意識が朦朧としている中で指紋を採取されたり写真を撮られたり、荷物をピックアップして再度預け入れたりするのはなかなかに僕らの精神力と体力を奪っていった。

 ワシントンからトロントへは、小型のプロペラ機で移動するようだった。僕はプロペラ機にはいい思い出がないので、すでに不安な気持ちになっていた。そんな僕の不安に、プロペラ機はしっかり応えてくれた。気流の関係か何かで、僕らの小さく狭いプロペラ機が飛び立ったのは、なんとトロントに到着しているはずの時間だった。
案の定、睡眠不足も手伝って、僕は機内でひどい乗り物酔いを起こした。この後もトロントの空港からホテルまでバスで1時間の移動が待っていると思うと、ここに来たことをほとんど後悔するくらい、具合が悪くなっていた。もう、飛行機から降ろしてくれるならどんなことでもする用意があった。限界はとうに超えていた。
そんな僕にとって地獄に仏だったのは、空港からホテルまでのバスの乗り心地がとても良かったことだ。僕は30分ほど深く眠り込み、起床した時は驚くぐらい晴れやかな気分で、自分でもにわかに信じられなかったけれど、ほとんど完璧に回復していた。
気温はしばしば氷点下になると聞いていた僕らは、そこそこの覚悟を持ってトロントに降り立った。しかし、その日は気温が8度もあり空気もカラッとしていたので、全く寒さは感じず、余裕の笑みすら浮かべていた。
 チェックインを済ませたあと、妹はシャワーを浴びると言い、僕と伯母は近くのスーパーへ夕飯を買いに出かけた。朝ごはんを食べたきりだったけれど、朝ごはんは日本の時間で言う深夜に食べたことになるし、お腹が空いているのかどうかももうよくわからなかった。他の旅行者も同じような感覚なのだろうか。とにかく僕らにできることは、トロントの時刻に自分をうまく安定させることだと僕らは判断したわけだ。たまたま見つけたスーパーには、運の良いことに惣菜バイキングのようなコーナーがあった。おかげで、僕らは比較的まともな食事を摂ることが出来た。ほとんど意識もないままに食べ物を口に運び、いつの間にか眠り込んでいた。

『写真』
ばいばい、日本食。

IMG_2726

IMG_2725

続きを読む
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

29 thoughts on “カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。