カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜

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カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜

きっともう朝日が差し込む時間だろう。そう思いながら爽やかな気持ちで覚醒した。
もぞもぞと中途半端に伸びをしながら、手元のデジタル時計を手繰り寄せる。「22:28」と表示が目に入る。

ぼんやりと考えていたよりも大きな値に、少しばかりの罪悪感がよぎる。いや、違う。まだ今日なのだ。
まだ長かった3.11は続いている。37時間にも及ぶ長い一日は、まだ少しばかり残っているのだ。
そう、僕はここからもう一度だけ祈る機会を与えられたのだ。ほとんど地球の反対側のここから。

しかし、覚醒したばかりの僕にはそこまでの考えは及ばない。ただ、こう思ったのだと思う。
「もう一眠りしなければ。Jet lag(時差ボケ)というものは、容赦なく僕の旅程から太陽を奪う。完全に目が覚めてしまう前に、もう一度まどろみの中へ」と。
半時と少ししか眠っていないのに、疲れはすっかり取れていたように思う。
きっと、長いエコノミークラス状態を強いられていた上にひどく寝不足だった僕の体は、深く静かな眠りを柔らかなベッドで与えられることに戸惑い、驚くべき回復スピードを発揮したのだろう。
僕は体内時計をリセットし、トロント時刻に合わせるためだけにもう一度眠ることを決める。

ようやく朝が来た。遮光カーテンはうまく光を遮っているけれど、窓から僅かな光が漏れているのを発見し、今度こそ3.12の朝を敬意を持って出迎える。
再び昨夜と同じように時計に手を伸ばす。「01:28」。

おいおい、勘弁してくれよ。僕の中の時計は、完全にイカれちまったようだな。
いや、そもそも僕は普段から夜中に二度は目覚める人間なのだ。どうして朝までぐっすり眠れたなんて思ったんだろう?
僕は立ち上がり、カーテンの隙間から窓の外を眺める。

なんてこったい。僕が朝陽だと思ったのは、寝静まることのない、ぴかぴかとした夜のネオンだった。
ふと、目の高さにある看板の中で僕に白い歯を見せる中年男性と目が合った。
僕はぎこちなく微笑み返し、ここは全く、僕の国と変わらないじゃないかと思った。ちょっと国が違うだけで、夜のネオンが爽やかな朝陽に見えちゃったりするんだから、人間って結構適当なんだよ。
いや、君のことを言っているんじゃないよ。あくまで僕の場合、ということだ。僕はなんとかもう一度布団に潜り込んで、眠りの女神を待った。幸運なことに、彼女は僕に微笑んだ。

今度こそ爽やかな目覚めが訪れた。いささか眠りすぎたかも知れない。
眠気は完全に去り、昨日の疲れが嘘のようにエネルギーが満ち満ちている。
昨日ベッドに潜り込んだときは、比喩なんかじゃなく、「僕はもうこのまま目覚めないかもしれない、精神的にも、肉体的にも」と思ってしまうくらい、心底疲れていたのに。もしかしたら、今日は観光なんてものが出来てしまうかもしれない。

いつもの僕は、なんというかうまく「観光」というものが他の人のように楽しめないのだ。
名の知れた場所を訪れ、そこにまつわる歴史にザッと目を通し(殆どの場合、半分でも理解できればいいほうなのだが)、少しでも多くの画像データをカメラに収めようと躍起になることに、少々疲れてしまうのだ。
そもそも僕の旅の目的は文字通り「休暇」であるのに、なんだかぐったりしてしまう。
きっと僕には文化的教養とか、文化的教養をわかったようなふりをして自分を満足させる能力だとか、そういったものが少しずつ、いや結構すっぽり欠けているんじゃないかと思う。
隣で妹も目を覚ましたようだ。

「やぁ、ぐっすり眠れた?もう朝だよ」

「おはよう。今何時なの?」
妹の声を受け、僕は3度目の正直を確認する。
「3:08だ」

 本当に、一体全体どういうことなんだ。
普段の僕は6時間の睡眠で、しかも途中で二度も目覚めて満足するようなつくりにはなっていないのだ。

「どうやら僕らは時の狭間に迷い込んだようだ。脱出方法を考えよう」
もうこれ以上眠りを先延ばしにすることなんてできそうにもない僕は、なんとか妹を完全に覚醒させようと試みた。
が、どうやら妹の方もすっかりしゃっきり目を覚ましていたらしい。

「おなかがすいた」と妹が訴える。
深夜とも早朝ともつかないこんな時間に腹が減るなんて、あるはずがない。
しかし驚くべきことに、僕もそういえば腹が減ったような気がする。
まるで僕の肉体が、時間というものに囚われることを拒んでいるかのように。

ハハハ、日本の諸君。僕は今日、初めて「時間を振り回した」ぞ。君たちにこんな経験があるかね?

僕たちはのろのろと起き上がり、10日間の旅程にしては大きすぎるスーツケースを開放する。
びっしりとつめ込まれた、見慣れたインスタント食品が整列していた。
大抵の場合、海外の食べ物は僕の口に合わないことが多い。だから今回は念の為に非常食を携えて渡航に踏み切ったのである。

出発前の自分たちに感謝しながら、僕たちは銘々にお湯を沸かし、好みのインスタント食品に注ぎ入れる。
外は氷点下のはずだが、部屋の中は驚くほど暖かい。
僕は個人的に寒い気候をあまり、いや全くもって好まないのだが、これほど暖かいなら住めるかもしれないとさえ思った。
そういうわけで特に凍えていたわけでもなかったが、暖かいスープは僕の疲れた、正確には疲れの取れたばかりの体にじんわりと染み渡った。それはなるほど、なかなか心地のいいものだった。

こうして、僕らの朝はいつもよりいくらか早く始まった。
もっとも日本の時間で言えば、ほとんど一日の終りのような時間だったけれど。
まずは昨日そのままにしておいた、液体石鹸が漏れて何もかもがベトベトになってしまった袋に手を付ける。

「爆発物処理班、出動します!」と僕は意気込んだが、実を言うとこういった作業はあまり得意ではない。暖かいお湯を出し、さっさと洗ってしまった。

今日の天気だとかどこに何があるだとかいったことは、だいたい妹が調べておいてくれる。
全く、僕の妹は人類で36番目くらいにスマートフォンを使いこなしていると言ってもいいだろう。

その間僕はというと、とにかくスーツケースの一番上にある服をひっつかみ、時間をかけて着替える。あとはしっかりと「役立たず」をしていればよろしい。

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カナダ旅行記 2日目 ② 〜凍った街と僕ら〜

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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