カナダ旅行記 2日目 ④ 〜地下の巨大都市〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜
カナダ旅行記 2日目 ② 〜凍った街と僕ら〜
カナダ旅行記 2日目 ③ 〜ベジタリアン〜

トロントには、「地下街」という場所が存在する。
地下何階にもわたって、実に1200もの店舗がひしめき合っている巨大なショッピングモールのような感じだ。
旅行ガイドでお情け程度に紹介されていただけだったのであまり期待はしていなかったのだがこれは一筆に値する。なんでも、冬になると寒さを理由に、夏になると暑さを理由にあまり外に出たがらない住民のために作られたコミューンらしかった。

扉を開けると、そこはまさにオアシスだった。雪国ではなく、暖房網の張り巡らされた天国だった。きっと何十何百もある入口のうちの一つから、僕らは地下の世界に足を踏み入れた。僕の国にも地下のショッピングエリアは存在するが、なんというかここは明らかに規模が違った。
地下だけで一つの社会を形成しているような感じの言うなれば「地下都市」だった。
歩いている間にまず最初に驚いたのは、その人の多さだ。トロントに到着してからというものの、街を歩く人の少なさが気になってはいたが、僕は今までの海外の経験から、「海外とは土地が余っており、人口に対してしばしばあまりにも広く贅沢なスペースが提供されうるのだ」と勝手に結論づけていた。実際、スウェーデンなんかは日本と同じくらいの面積を有しているにもかかわらず、人口は900万人ほどしかいない。

「なんだか蟻の巣みたいだね」と、妹が呟いた。まったく、彼女には適切なタイミングで的確な情景描写を行う能力があるに違いない。人々はここにちゃんといたのだ。
僕は初めてトロントの人達に挨拶をしたような気分だった。
ここがトロントなのだとしたら、地上にある凍った世界はいったいどこなのだろう。そのくらい、僕にはここが地上とは違う、完結した世界に感じられた。人々の様子もやはり違っていた。
完璧なまでの空調設備のおかげで、地下都市は冬ではなかった。中には半袖の人もいるくらいで、さすがにこれには少々たじろいだ。
僕はというと、相変わらず厚手のコードを着たままだったけれども、不思議なことに暑くは感じなかった。僕の体は寒さにはめっぽう弱いものの、暑さに関しては比較的便利な作りになっているのだ。そこで僕らは暫くの間銘々に自由時間を取ることにした。
とは言っても、妹は英語が話せないというし、僕はおおよそ買い物というものに興味が持てなかったので、僕と妹は行動を共にした。実は彼女はちゃんと英語を理解するし、コミュニケーションを取ることもできると僕は知っているけれど。

人々と心を通わせるというのは、言葉ができるとかそういうのは、なんというかあまり関係がないのだ。
たとえるなら、言葉というのはお洒落と似ていると思う。高級な服や化粧品を持っていても、着飾ることが好きでなければあまり役には立たない。逆に、好きでさえあればその素材の値段に関わらず(もちろん関わるのだろうが)、それなりに可愛らしく美しく着飾ることができる。
僕はあまり多くの人と話をするのが好きではないし、一人でコーヒーを飲みながら本を読む時間を何よりも大切にする。英語を学んだのだって、スウェーデンに交換留学をした際、向こうの授業で困らないように「道具」として身につけていた。英文学科の人には怒られるかもしれないが、僕にとっては言語とはそういうものだったし、だから当然のようにスウェーデン語には興味が持てなかった。スウェーデンの人達は英語がかなり堪能だったし、僕としては「語学の障壁のせいで付き合う友人を選ばなくちゃならない」なんてことにはなりたくなかっただけなのだ。それにはある程度の英語さえできれば充分間に合った。

そもそも僕はあまり耳から入る情報処理に長けてはいないし、長く人と話していると随分疲れてしまう。これはあとになって知ったことだけれど、どうやら僕は普通の人とは情報処理のプロセスが違うらしい。僕は耳から入った情報をまず頭の中で活字に文字起こしする。そしてそれをじっくりと読み、イメージに変換する。そして初めて理解できるのだ。
いつもひとつのイメージが頭の中を占めているため、運転しながらラジオが聞けないし、友人と将来のことについて話しながらご飯が食べられない。全くもって不器用な人間なのだ。
そういうわけで、僕は今回の旅の前に英語をもう一度聞き取れるようにするのにちょっとした努力をしたし、だから一度留学をしただけでもうこの先一生英語での意思疎通には困らないだろうなんて思わないでいただきたいのだ。大切なことだからもう一度言うが、語学とコミュニケーションはまったく違う。僕が役に立てるとすれば、それは入国審査やホテルのチェックインぐらいなものだ。

話がそれたが、僕と正反対の性格の妹は、目の前に広がる夢の様なショッピングモールに興奮の針が振り切れてしまっていた。普段実に妹の世話になっている僕は(話すと長くなるので、ここらへんの詳細は割愛させていただくが)、とにかく妹の好きにさせてやりたかった。妹の欲しがるものを手に入れるためなら、2ヶ月分の給料を差し出す用意だってある。最も、そういったことに気を遣って遠慮してしまうあたりが、また妹の魅力なのだが。

とにかく、物価が少々高いことを残念がっていた以外は、妹は「地下都市暮らし」をそれなりに楽しんでいるように見えた。彼女はきちんと自分で支払いの手続きをしたし、買い得な商品を見つけては品定めをしていた。きっと僕よりもずっと、ちゃんと「お客さん」をこなしていた。僕はその間、店の壁に書かれた手描きの絵だとか、何十にも交差するエスカレーターだとかを見上げていた。そういう細かいことにいちいち気を取られ、ボウっとしてしまうのは、僕の良くない癖なのだ。

《地上に比べ、なにもかもがとてつもなく発達した地下の都市》

トロント地下街1

《目のくらむようなアップダウン》

トロント地下街2

《電光掲示板だけが頼りだ》

トロント地下街3

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カナダ旅行記 2日目 ⑤ 〜訓練前の本番〜

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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