カナダ旅行記 2日目 ⑤ 〜訓練前の本番〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜
カナダ旅行記 2日目 ② 〜凍った街と僕ら〜
カナダ旅行記 2日目 ③ 〜ベジタリアン〜
カナダ旅行記 2日目 ④ 〜地下の巨大都市〜

一昔前までは、暑さや寒さを理由に家でゆっくりとした時間を過ごしていた人々が、こうして地下に繰り出して買い物を楽しんでいる。
政府が親切のために地下を掘ったのか、または需要を生み出し、経済を刺激する意図があったのかは定かではないが、人々の生活は大きく変わったに違いない。自らの意志で地下に潜り込んだのか。それとも地上から追い出されてしまったのか。それがいいか悪いかはともかく、ここの人にはなんだか地上に残っている人のような「いい感じ」がしなかった。もちろん、ぼくの主観でものを見ているのだけれど。

妹がCDショップで品定めをしている間、僕はベリーのスムージーを飲みながら(Very Berryとかいう名前だった)腰掛けて待っていることに決めた。
実を言うと、僕はほとんど菜食主義者で、なかでも果物には目がない。もっとも、アイスクリームの誘惑にはいつも勝てないでいるため、本当の菜食主義者の人には怒られてしまいそうだが。僕の場合は「主義」ではなく「好み」で生きているだけだから、まぁしょうがないっちゃしょうがないのだ。とにかく気ままな性格なのだ。

こうしていると、先程までの猛吹雪などは文字通り「どこ吹く風(いや、雪だ)」状態で、僕は冷たいスムージーを楽しんだ。
僕らの、というか妹の買い物が終わり、ホテルに戻ろうとした時、ばったりと伯母に会った。僕らはこの広い巨大都市でもう一度落ち合うことなどほとんど不可能だと思っていたから、ホテルで集合することに決めていたのだが。僕らの日常には、こういうことがしばしばある。高校の帰りに、学校から10も離れた駅までわざわざ出向いているにも関わらず、首尾よく先生に見つかってしまったり、パリのルーブル美術館の前で偶然同級生に出会ったり。そういうのって、ありえないことじゃないのだ。

「ねぇ、3階に行った?」と彼女は言った。地下都市で言う「3階」とは正確には一体何階を指すのか一瞬混乱した後、「多分行っていないと思う」と僕は結局当てずっぽうで答えた。彼女の話によると、そこにとてつもなく大きな書店があるらしい。
僕にはあまり物欲というものはないが、話が本のことになると、事情が変わってくる。本屋に行くといつも両手で抱えきれないくらいの本を買ってしまうし、誕生日もクリスマスも、毎年決まって図書券をもらうと決めている。市の図書館にもかなりお世話になっている。
そんなわけで僕はぜひともそこに訪れたかったのだが、間の悪いことにそこでエンジンが切れた。僕はなんの前触れもなしに疲労が襲ってきて、ぷつんと動けなくなってしまう傾向がある。
これは本当に自分でもどうにかしたいところなのだが、未だ攻略するに至っていない。とてつもなく具合が悪くなり、もう生きているのも嫌な気分にまで落ち込んでしまう。ほんの一瞬前までは旅をエンジョイしていたにも関わらず、だ。
とにかく一旦こうなるともう見込みはなく、僕は一足先にホテルに戻らせてもらうことにした。こういうことが出来るのが、身内と旅行するいい点のひとつである。帰りの「入り口」を探すのも一仕事だった。なにせ、ここは都市なのだ。

ホテルに着くやいなや、最後の力を振り絞り、熱いシャワーを浴びて体を温める。シャワーも浴びずにこのまま寝てしまったら、寒くて風邪を引いてしまうだろうと思うくらいにはまだ元気があった。
サッとシャワーを済ませユニットバスから上がると、床が水浸しだった。僕としたことが、シャワーカーテンを湯船の内側に入れ忘れていたのだ。なんだってこんな時に。僕は半ば涙目になりながら、体を拭いたタオルでそこらじゅうを軽く拭き、髪も乾かさずにベッドに潜り込んだ。

すっかり眠り込んでしまった。夢は見なかった。今は一体何時だろう。トロント時間で言うと。
目が覚めた僕は、妹と伯母が帰ってきているのに気がついた。時計を見ると、まだ17:30だった。一時間ほどしか眠っていなかったにもかかわらず、僕は目覚ましい回復を遂げていた。どうやら、僕はここで短時間で回復する能力を身につけたに違いない。
すっかり元気になった僕は、もう一度着替えて妹と共に食料を確保しに出かけた。
伯母はというと、オンタリオ美術館が水曜日の18時から無料になるという情報を仕入れ、再び街に繰り出していった。こういう底なしの体力やアクティブさは、母にそっくりだと思う。性格の似ていない姉妹だと思っていたが、やはり血は争えない。僕と妹は美術館に興味もなかったし、なにより妹も疲労がピークに達していたために、遠慮することにした。

僕たちは、ホテルから5分ほどの昨日見つけたスーパーでやはり今日も買い物をすることに決めた。
時間が時間だからか、目当ての惣菜バイキングが撤収されかけていた。慌てて「終わっちゃうの?ちょっと待って」と店のおばさんに声を掛け、大急ぎで食べ物を詰めた。残念ながらサラダにかけるドレッシングがしまわれてしまっていたため、マリネのようなものを上からかけて味をつけた。なんというか、こういうところが日本と違うな、と思うのだ。
日本ではお客さんがいる限り店は閉めないし、そもそも夕方の6時に食べ物を撤収し始めるなんてことはない。そんなことをしたら、会社帰りのサラリーマンはどこで食料を確保すればよいのだ。でも、ここでは大体の人が定時には仕事を終え、あとはそれぞれにアフターワークの時間を楽しむ。
日本ならコンビニでそこそこの弁当が24時間買えるし、遅くまで働いても問題はないのだが。なんというか、ここでの人々の仕事への態度や、ライフスタイルを見ていると、「人間だな」と思う。もちろん僕の国にも人間はたくさんいるのだが、それと同じくらいロボットもたくさんいるような気がするのだ。疲れ顔の、それでも動き続けるロボットたちが。もっとも、接客や商品の質など、我が国の誇るべき点が確かにあることも述べておかなければならない。

ホテルに帰り着くと、僕たちはようやく今日のミッションを全て終えたような気持ちになった。まだかろうじて温かい料理を取り分け、ほとんど無言で食べた。まだ未だのオレンジに手を伸ばした。果物の種類だとか、陳列だとか、そういった細かいことにも異国であることを感じる。
オレンジではなく、タンジェリンという名の果物は、日本でいうところのみかんに近い見た目に親近感を覚えた。

その後はこうして今日の日記を書いているわけだが、日付が変わる直前、突然ホテル中にアラームが鳴り響いた。自慢じゃないけれど、僕は旅先であまりトラブルに巻き込まれた経験はない。全くないと言ってもいいほどだ。
にも関わらず、今日は実にいろいろなことが起こっている気がする。”Ladies and Gentleman, may we have your attention please…(「お客様、申し上げます」といったところだろうか)”館内放送が響き渡る。僕はただちに神経を研ぎ澄ませた。そういえば、防災訓練の予告の紙が入っていた。しかし、それはもう半日ほどあとの話ではなかったか。
10分ほどアラームが鳴り続け、その間も従業員招集やら、非常口確認の指示が飛ぶ。さすがに不安になってきた頃、どうやら2階で小火(ぼや)があったらしいこと、消防士たちが駆けつけてすでに解決したこと、エレベーターが5分後に復旧されることなどが放送で告げられた。次の日の訓練を前に、なんとも皮肉な話だ。
やはり大きなトラブルには至らなかった。僕は普段はあまり発揮することのない、自分の幸運に感謝して眠りについた。

《スムージーおいしい》

カナダスムージー

カナダ旅行記 3日目 ① 〜洗濯と郷愁〜

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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