桜と地震と山登り 〜阪急今津線仁川駅甲山で思う〜【エッセイ】

震災当時、四歳でした。祖父の家からほど近い百合野町地区でこんな大きな被害があったこと、恥ずかしながら知りませんでした。今は魅力的なハイキングコースとして地元の方に愛される甲山に登った時の記録です。
登山日:2016年4月6日

————以下本文(9416文字)———–

忙しさと自己嫌悪と寂しさとおかしな高揚感に押しつぶされそうになっていた三月のある日、こんな本を買った。

公務員を辞める頃には暖かくなっているだろうし、運動不足と暴飲暴食の連続で目も当てられない状況に陥った中性脂肪をどうにかできると踏んだのだ。それに、僕の趣味はこういう本や小説を読んで「脳内旅行」をすることだったりする。
もちろん、脳内だけで終わらせるのはもったいないという意見も一理ある。実際にあるハイキングコースなのだから、自由時間を活用してあちこちに足を運ぶことができる。
六甲山、摩耶山、武庫川廃線……僕の本には、どんどん折り目がついていった。
余談だが、74ページの「森林食堂」というお店の、微笑んでいる女性が天使すぎるのと、そこで紹介されている、古代米らしき小豆色の米とタンドリーチキンのカレーがとても美味そうに見える。折り目の必要がないくらい、自然と開いてしまうページである。

さて、京阪神に住む山好きにとって魅力的な情報を満載しているこの本のどこにも載っていない山がある。
『阪急電車』で一躍有名になった阪急今津線の仁川駅からほど近い、「甲山(かぶとやま)」だ。

この本をぱらぱらとめくっていた時に、仁川に実家のある母が僕に、あるいは本に向かって呟いた。
「甲山は、マイナーすぎるのかしらね」
その声には、情報氾濫社会において未だその網に引っかからない思い出深き地元の山への、同情と誇りが同じくらい混じっていた。

かぶとやま。
その山の名前は、手頃な木箱に入れられ、スーツを纏った僕の身体の奥に丁寧にしまい込まれた。

そして、宝塚の地で暮らし始めて四日目。
二、三日ひとりきりになってみると、だんだんと自分の内側が騒がしくなってくる。

ちょうど雨の間の晴れの日。
今日しかない、と重い腰(実際に重くなってきていた)を上げて、リュックサックひとつで向かう。
こういう山のいいところは、特別な用意が何もいらないということ。
たっぷりの日光と、十分な水分、それなりに健康な肉体があれば、近所のパン屋さんに向かうくらいの気持ちでひょいと行けてしまう。

いつもより心持ちたっぷりの朝食を摂り、年季の入ったコンバースのスニーカーを履いて、出発する。
天文学的に方向音痴な僕は、抜かりなく事前に山へのルートを検索していた。
http://www.ken-tmr.com/kabutoyama-haike//kabutoyama-haike.html
http://www.ken-tmr.com/
によると、なるほど仁川からは「地すべり資料館」というところから出発でき、さらにはそこで地図ももらえるらしい。

「地すべり資料館」までは、大人しくiPhoneの世話になることにする。こいつの能力は、僕が百人束になっても敵いやしない。特に地理と計算問題と記憶力については。

道中、桜が美しく咲いていた。今年は花見なんてできないと思っていたのに、昨日の雨ニモ負ケズ、未だ満開の状態で僕を待っていてくれた。そう勝手な解釈をつけるほどには、僕はある意味で舞い上がっていたのだ。

桜。
蛍のように儚く、それでいて、いやだからこそ人々の心を掴んで離さない。日本人の「無常観」は、桜と自然災害の多さによって形成されていると言っても過言ではないと、僕は思う。
そして僕は、桜についてしばし考える。
桜のいいところは、散るところではないか。
それは、単に儚さの崇拝ではない。
蕾が一気に花開き、人々の旅立ちや新たな門出を束の間祝った後、お役御免とばかりに土の上に淡い桜色のじゅうたんを作る。
そして、再び棒きれになるのではなく、今度は緑の葉をその身にまとい、一年かけて再び旅をする。
毎年同じ繰り返しではない。
桜は季節を巡るたびに死に、新しい命を芽吹かせている。理由もなく。
命に理由や意味をつけるのは、人間くらいではなかろうか。

自然災害。
まるで予定調和的に僕の頭に浮かんだその言葉は、やはり予定されていたのだと今になっては思う。
仁川を上流に向かって歩き、「地すべり資料館」に辿り着いた僕は、21年前のおぼろげな記憶に新たな「事実としての記憶」を上書きすることになる。

空調の必要のないこの季節でさえ、館内は屋外とは違った空気に満ちていた。
義務ではないのだろうけれど、受付で住所と名前を記帳する。無料で入ることのできるこの施設に、僕は他に誠意の表し方を知らない。

「やあ、こんにちは」
暇を持て余した、人の良さそうな男性が椅子から腰を上げる。
「関学の学生さんですかな」
「いえ、社会人です。祖父の家が近くにあるもので」
五日前に失職したことは言わない。一期一会の関係には、会話の適切な距離感というものが存在する。
そう答えつつも、今年で二十六になる自分が未だ学生に間違えられることを内心で喜ぶ。

確かに年齢的には学生であってもおかしくはない。けれど僕は思うのだけれど、一度社会に出て働き出すと、もう学生の頃のような無邪気な空気をまとって生きることは難しくなるのではないか。ある種の寂寥感や諦念とともに、悟りと強さを手に入れるのかもしれない。
というのは、あくまで僕の個人的見解であって、管理人の男性が気を利かせてくれたのか、それとも本心で言ったのかはわからない。

「そうですか。それで、今日はハイキングかなにかに?」
彼は、着古したパーカーに腕を通すように、機械的でもなく、ちゃんと血の通ったその決まり文句を口にする。
「はい。今日はお天気もいいですし」僕は無難を心がけて答える。
「それで、地震の映像は見ていかれますか?」と、唐突に彼が問うた。ハイキング目的の客はおおかたここで断るのであろう。彼の声には、半分の義務的質問と、半分の期待が入り混じっていた。
「お願いします、お手数でなければ」考える暇もなく、僕は反射的に答える。
こんな時、僕はいつもの癖で正解を探してしまう。彼にとって、僕が今ここで上映を請うことは、彼の暇慰みになるのだろうか、それとも余計な手間を増やしてしまうだけなのか。
僕としても、それほど興味があったわけではない。ただ、対面で人と話すと、うまく断ることができないのだ。

五十ほどの席と大きなスクリーンの設置された部屋に通される。時折、小学生の課外学習などで使われるのだろう。
今日は僕ひとりのために、電気が消され、擦り切れるほどに流されたはずの映像が再生される。
「十五分くらいやからね。なんやったら、その後に英語版も流そうか」
彼の軽いジョークに半端な苦笑いを返すだけの僕だったが、彼がこの作業を面倒がっていないことに安堵する。
そして、よく通る、それでいてクセのないナレーションに沿って、当時四歳だった僕の知らなかった「阪神淡路大震災」が映しだされた。

地すべり、がけ崩れ、土石流。そのどれもが違ったメカニズムで起きていて、ここ仁川百合根地区は阪神大震災の地すべり被害が一番大きかったらしい。「イメージ図」と「実際の映像」の差を見ただけで胃の中に土砂が満たされていくような錯覚に陥ってしまうくらいの違いがあるのに、それがほんとうに目の前で起きるとしたら。
いや、ここでは想像力は役に立たないのだろう。
人や科学に殺されるくらいなら、そして自分に殺されるくらいなら、自然災害に殺されたいと思ったことがある。そして、誤解を恐れずに言えば、その考えは今も概ね変わってはいない。
そんなふうに考えてしまうのは、僕に想像力が足りないからなのだろうか。
自然災害は、過去や未来を中心にして、「今」をないがしろにする傾向のある人間にとって、あまりに突発的に起こる。
そして、現代の人はご自慢の科学を駆使し、その予測と対策に熱を上げる。
ほんのすこし前まで、まだ日本で宗教が人々の心の中に溶け込んでいた時代、全ては「神さま」の意向として片付けられてきた。
神の恵み、神の怒り、神への供物、神への畏敬。
あるいは、生活が自然と一体であった頃、神とは自然そのものだったのだろう。八百万の神。
どこまでも不完全な科学の理論と、盲目的解決策としての信仰。どちらがいい、というのでもないだろう。その時代の多数派が、今はたまたま科学というだけのことだ。
しかし、科学が優勢な時代にあって、人びとは「理不尽」に慣れていない。
どうしてここだけが。どうしてこの時間に。どうして主人が。どうして娘が。どうしてわたしが。
そんな思いは、神の御業と割り切っていたように見えた時代にも、人びとの心に確かに存在していたのかもしれない。
人の心は、わからない。表面に出ないままの思いも、違った形で発散される思いも、人が口にしようと試みる思いでさえ。自分の心の中を十全に理解し、それを隈なく表現し、さらに受け手がそれを百パーセント理解するなんて、それこそ神の力を借りないことにはできないだろうと思うのは、やはり僕の想像力に問題があるのだろうか。

震災の話は、もうこのくらいにしたい。
ほとんど記憶の残っていない、大阪生まれ大阪育ちの人間が、神戸で起きた震災をどれだけ語って良いものか。
失ったものなどほとんどない、母方の祖父一家がしばらく不自由な生活を強いられただけの僕が、震災を感じる資格などあるのか。
被災者、支援者、無関係者のこういった線引きについての話題は、東日本大震災後もしばしば議論されてきた。

僕なりに至った暫定的結論がある。
自然災害(あるいは人為的事件、事故、ひいてはあらゆる事象)について、どう感じるかは個人の自由だ。それを許すか許さないかは、完全にその個人の領域にある。
けれど、それをいかなる形であろうとも発信する時、行動に移す時、ある種の「倫理的批判」の可能性はついてまわる。自分の立場、発信する内容を十分に吟味したつもりでも、何かを発信する限り、誰かを傷つける可能性は消え去らない。それでもなお発信したい、行動したいなら、その後の責任も含めて自由にしたらいいと思う。
それが僕の思う「まっとうな生き方」である。

さて、そんなふうにして、ほとんど内容が頭に入ってこぬまま(意図したわけではない。僕の頭は常時運転の自動空想発生装置なのだ)、十五分が終了する。
暗い空間に慣れた目は、白熱蛍光灯の光を必要以上に採取する。
「とても勉強になりました。ありがとう」
「私でわかることならお答えしますが?」
短い映像の後半をほとんどキャッチできなかったことを悟られまいと、できるだけ慇懃に礼を言った僕に、親切な管理人の彼が声を掛けてくれる。
「ええと、そうですね、ここで起きたのは、地すべりですか? がけ崩れでも土石流でもなく?」
僕は、『地すべり資料館』の中で、わかりきった質問をひねり出す。ちゃんと映像を見ていたことをアピールするように。
「そうですね」彼はまだ僕の質問を待っている。
「全然覚えてないんです。本当に」僕は話の中心を、映像から震災そのものに切り替えようとする。
「二階も見ていかれますね?」と、彼のクローズドクエスチョン。選択肢はひとつ。

小さな資料館の二階は、展示室になっていた。災害の種別ごとの説明、大きな模型、添えられた丁寧な説明書き。
ここなら僕のペースで進んでいくことができる。僕は、映画鑑賞よりも小説や漫画を読むほうが性に合っている。時にのろく、時に光速で。
僕はB型だけれど、他のB型で僕ほどマイペースな人間に出会ったことはない。

展示室の一番奥に、当時の新聞の切り抜きが貼られていた。
家を失った人。親戚を失った人。親を失った人。きょうだいを失った人。家族みんなを失った人。
自分のいのち以外の何かを失った人の声が、そこには載せられていた。
僕はしばらくそこから動けなくなった。
僕が小学生の課外授業でここに来ていたら、きっと班のペースを乱す存在であったに違いない。
その瞬間、僕は一人きりでその新聞をひとつひとつ読んでいった。
震災を体験した人の、それを取材した記者の、その頭で整理され、会社でオーケーが出た新聞。文字の羅列。
時代とともに茶色く変色したそれらには、莫大な質量の思いが溢れ、すくいきれずにこぼれ落ちていた。
死者は、生き残った人びとの人生に大きな影響を与えていた。僕はいま生きているけれど、誰かの人生に大きな影響を及ぼしているとは到底思わないし、そうしたいとも思わない。
あるいは僕が死んだ時、その瞬間に僕の「生きざま」のようなものが決定され、生き残った人びとに何らかのメッセージとして残るのかもしれない。
けれど、そんなことは生きている人が決めればいい。死んだ僕にとっての願いは(もし思考が残っていればの話だけれど)、生きている彼らが、せめて死ぬまでの間少しでも機嫌よく暮らしていくために、そのメッセージを良いように解釈してくれればいいのにな、というだけのことだ。
人生は、生まれてから死ぬまでの、言わば「手つかずの切り取られた線分」のようなものなのだから。
その線分を引き延ばすことばかりに躍起になって、三次元的な広がりや空間の居心地ついては全く無関心な人も多いようだけれど。

一階に戻り、彼に再び礼を言う。
「ゆっくりされましたね」
「新聞記事のところで見入ってしまいまして」
「私が実際に被害に遭っていれば、もっとお話できることもあったんでしょうけれど」
彼は当時、西宮北口を挟んだ今津線の終点、今津駅に住んでいたそうだった。揺れが起きた時、娘の頭には棚から落ちたものが当たり、家もめちゃめちゃになったらしい。当然だ、今津ならかなり揺れただろう。
けれど彼は、自分が「震災に遭った」とは言わなかった。それは彼がこの資料館に勤務していることと何か関係があるのだろうか。

結局、僕は予定されていたわけではないこの資料館で、十六年前の震災について想像以上に思いを馳せることになった。

「また来ます」
そう彼に挨拶し、ハイキングコースの地図をもらい、外に出る。ただの段々畑にしか見えなかった階段上の花壇が、防災のために人々が築いた希望の砦に見えた。

さて、今日の僕の目的はあくまでもハイキングだ。
地図を見る限り、実際に甲山に足を踏み入れるまでに、「甲山森林公園」を西に向かって歩くらしい。
展望台、レストハウス、野外ステージ、愛の像など、人為的な文字が並ぶ。
地図は読めない。いや、正確には、地図は読めるのだけれど、その鳥瞰図的描写が横たえられ、目の前に水平に広がった途端に方角が分からなくなるのだ。
大丈夫、ひとまずは人の手の入っているところを往くのだ。死にはしまい。

『猪が植物の根を食い荒らしますのでこの門は必ず閉めて下さい。』
段々畑を抜ける際にちらりと目にした物騒な看板は、見なかったことにする。神戸の大学に通っていた頃は、うり坊だっていたじゃないか。

どこの入り口でもない、いわば裏口のようなところから始めたためか、最初の方から険しい道が現れた。これがこの山の特徴なのか、それとも僕が実際には遭難していたのか、結局のところ僕には最後までわからなかった。平日のせいか、人とすれ違うこともなかった。
道無き道をゆく。まさにこの言葉どおりのような状態で、僕はとにかく「上」という方角以外には確かな道しるべは見つけられなかった。
昨日の雨で滑りやすい山道を、汗をかきながら登る。しかも、まだ目的の山の入り口にさえも立てていない。
ふと、僕はいったいぜんたい何をしているんだろうという不安に襲われる。
けれど、登って下りることを目的とする山登りという行為で、登ることに意味など見出そうとするほうが間違っているのだ。僕はリュックからタオルを取り出し、水をぐびぐびと飲む。この調子じゃ、水がもたない。

しばらく行くと、山に隣接する大学の学生たちの声が聞こえてきた。
部活。僕にはあまり馴染みのない活動だ。
四の五の言わずにとにかく練習、徹底された上意下達型の組織に、僕はうまく馴染めなかった。要するに、いつも生意気な下っ端にしかなれず、それでいて飽き性で、さらには体を動かすことそのものがあまり好きになれなかった。特にチームプレイを要するスポーツは、人生を通じて用心して避けてきた。
人は、苦手である。何を考えているかわからない、僕に何を要求しているのかも図りかねる、それでいていつも僕のペースを乱し、挙句好き勝手に評価を下す。
彼らの存在を怖れ、評価を気にかけ、また同時に彼らを愛し、「彼ら」という不確定な総体に愛されたいともがいていた時期があった。僕は八方美人だった。
複数の組織にまんべんなく器用に混ざりながら、グラウンドから少し離れた木陰で読書をしている時間が一番落ち着いた。

しかし、今度は彼らの声が僕を勇気づけた。
公園の中に残る手つかずの小さな自然に取り込まれかけていた僕は、その声に人間社会への回帰点を見出したのだ。
僕は、蛍の光に導かれる幼子のように、いや、真夏の蒸し暑い夜の白熱灯に群がる羽虫のように、ふらふらとそちらへ出て行った。
がらりと開けた道路に出る。ここは、正当な公園管轄道路として、きちんと整備されていた。
自分がいかに人間社会に依存しているかを痛感させられた時、どこからか小さな二人の女の子の歌う声が聞こえた。
「じんせいはー、うまれついてー、そして死んでー、とんでゆくよー」
それは、先日終わったばかりの朝の連続テレビ小説の主題歌の替え歌だった。まだ「著作権」なんて言葉も知らない小さな頃、流行りの歌の歌詞を好きに作り変えて大声で歌っていた僕と妹の声が重なる。
案外、小さな子どもたちのほうが人生ってやつをわかっているのかもしれないな、とその歌を聞きながら僕は心の中で花マルをつける。人生は、生まれて、死んで、飛んでゆく。たったそれだけのこと。きっと当人たちは、半年先には違う歌を歌っているのだろう。こみ上げる笑いで音階が上手くとれない無邪気な声で。

なんとなく地図を見ながら先を進む。地図があっても、自分が今どこにいて、どちらを向いているのかがわからなければ、こんなものは何の役にも立たない。北入口の方からまっすぐグレーの線に沿って進めているといいな。そんな淡い期待を胸に足を運んでいると、目の前に「愛の像」がそびえる。
僕は愛に飢えているのだろうか。
その渇望が、僕をこの像へと導いたのだろうか。
いや、そんなことは何の慰みにもならない。
僕はいつの間にか道を南に90度逸れ、公園の中心に佇んでいた。立ちすくんでいた、と言う方がより正確な描写かもしれなかった。
そこには文字通り、愛があった。二人の小さな子どもと若い両親、写真を撮る祖母。
場違いな僕はいたたまれなくなり、いそいそと来た道を引き返した。そもそもの話、僕は道を間違えていたのだ。

甲山。かぶとやま。
僕がその入口に(いいか、入口だ)たどり着く頃、時計はすでに正午を指していた。地すべり資料館でのタイムロスがあったとはいえ、昼食は家で摂ろうと軽装備でやって来ていた。想像以上に過酷な道のりに、いつもよりエネルギーの消費も早く、腹もそこそこ空いている。しかし、ここまで来たからには何としてでも登らねば男がすたる。

階段。階段の連続。二本の足では、山を登るのだって階段が要るのだ。
ぎこちない先輩と、初々しい新入生の集団とすれ違う。きっと、関学の新歓イベントか何かだろう。社会人の僕とさほど歳の違いはないはずだけれど、そこにはどう頑張ってもお互いが超えられない大きな山があった。僕はもうその過程を「修了」しているのだ。そんなレールに乗らなくたってよかったのに、僕は新歓イベントに顔を出し、あの時期にきちんと「友達」を作ったことを後悔はしていない。そうせざるを得なかった自分の弱さに気づいたのも、随分あとのことだった。
「こんにちは」
礼儀として、一応ぼそぼそと声をかける。
「ちっす」
「こんちはー」
「こんにちわぁ」
「こ、こんにちは」
男女が色とりどりに返事をくれる。
慣れない素振りで先頭を歩く男子も、山登りの服装とは程遠い派手な女子も、控えめでおとなしそうな女の子も、新歓イベントならこの不釣り合いな組み合わせに納得がいく。
そのまま休憩なしに一気に上まで足を動かす。

突然、大きな広場に出て、視界が開ける。
頂上だ。
緯度と経度を測るための、文字通り「三角」に積み上げられた石。
ベンチで昼食を摂る老夫婦、子連れの母親。
弁当を持ってくるんだった、とチョコレートの欠片をかじりながら、格好だけ本を開く。
一刻も早くビールが飲みたい。その思想に囚われていた僕は、うまく小説の中にリンクすることができなかった。
十二時四十五分。仕事を辞めていなければ、正午から四十五分間は束の間の昼休みのはずだった。
言葉にできない寂しさ、虚しさ、自己嫌悪。それと同時に開放感、安心感、わくわくした気持ちが僕の胸を満たしていく。人生は選択可能なのだろうか。それとも選択肢など、はじめからないのだろうか。

登ってきた方角から左90度方向へ降りてゆく。坂道ではない、階段の下りは随分楽なものだ。それでも急速に酷使された運動不足の僕の脚は小刻みに震えだしていた。

ほどなく線香の匂いが香ってくる。
神呪寺だ。
神を呪う寺。なんとも物騒な名前だが、そこから見える景色は美しく、鐘の音は優しく、多くの人びとで賑わっていた。
ありがとうございます。
いつものように十円とお礼を言うだけのお参りを済ませ、足早に帰路につく。

ここからは地図がない。僕は人類の、人類による、人類のための今世紀最大の発明品を手に取る。スマートフォン。
ここから自宅まではおよそ三十分。最短のルートを、到着時刻の目安までつけて表示してくれる。
僕は確認したくなる。僕がちょっと寄り道をしたら、お前の予測なんて簡単に外れるんだ。
機械に人間が使われている事実から、ほんの少しだけ目を背けてみたくなる。
それが誰にとっても一文の得にもならず、そのうえその事実はもはや覆らないところまで来ていることを知っていても。

そうして僕は再び「神呪寺」に戻ることになる。十五分のロスタイム。
確実に神呪寺から東の方に向かって歩いていたにもかかわらず、再び神呪寺が目の前に現れるというのは、なんだか化かされた気分である。僕は諦めて、一寸違わず手の中の高機能通信機器の指示通りに動く。

今度は公園の北側を通っているらしい。「みくるま池」に金色の鯉が優雅に泳いでいる。
うまそうだな、お前を食ってやろうか!
同棲しているのであろうと思われるカップルが、仲睦まじく犬を散歩させている。
おい犬、うまそうだな、食ってやろうか!
僕は腹を空かせていた。
何を見ても、もう感動などできないほどに。

見覚えのある建物が見えてきた。そう、地すべり資料館だ。
そう、僕は注意深く一周し、またここに戻ってきたのだ。
「また来ます」と別れた彼も、まさか僕と数時間後に会うとは思っていまい。
その建物は素通りして、何とか家にたどり着く。時刻は二時半を回っていた。

大急ぎでスーパーに行き(もちろん車で)夕飯を調達し、持てる全ての余力を出しきり、シャワーを浴びる。
冷蔵庫からよく冷えたビールを取り出す。
ぷしゅう、と気持ちのいい音を立てて、僕の喉を苦味のある炭酸が潤していく。
これまでにこんなにうまいビールを、僕は飲んだことがない。
それも、いわゆる「発泡酒」と呼ばれる類の、安ビールだ。
それでも、その最初のひとくちは天国の味がした。
そして缶ビールをぐびぐびと立て続けに三本飲み干した。

僕はまたあの山に登るだろう。
きっと昼食は持参しない。
そして渇いた体に、冷えたビールを注ぎこむのだ。

桜

地すべり資料館

枝垂れ桜

神呪寺

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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