カナダ旅行記 3日目 ① 〜洗濯と郷愁〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜
カナダ旅行記 2日目 ② 〜凍った街と僕ら〜
カナダ旅行記 2日目 ③ 〜ベジタリアン〜
カナダ旅行記 2日目 ④ 〜地下の巨大都市〜
カナダ旅行記 2日目 ⑤ 〜訓練前の本番〜

3日目
今日もすっきりと目覚める。日本にいるときはあれほど起きるのが辛かったのに、ここに来てからはいつもこういう目覚め方をする。
雲がかかった脳内に朝陽が差し込み、柔らかな風が吹き抜けるような目覚め。
グレープフルーツでもかじりたくなるような気分だ。
ひょっとすると、僕はカナダで暮らすほうが向いているのかもしれないな、なんて到着して2日も経っていない身分で想像する。

ふと時計を見る。
「3:02」という数字が僕を軽く絶望させる。
なにが嬉しくて、僕は2日も続けて朝の3時に目を覚まさなくちゃならないんだ。
しかし、今回は寝付いたのが日付が変わってからだったこともあって、わりとすんなりとまどろみの世界に舞い戻ることが出来た。

その後に見た、「4:28」という時計は夢だったのだと思うようにした。もうこれ以上は眠れない、と思い目覚めたのは5:30頃。

もう起きよう。
こんな風に無理に眠らなくたって、僕にはやりたいことがあるじゃないか。そっと起きて顔を洗い、歯を磨く。
何時であっても、まずは起きて顔を洗い、歯を磨き、水をコップ一杯飲まないことには、僕の一日は始まらないのだ。
この一連の決まりをこなさないと、上手く切り替えることができない。僕という人間はそういう生き物なのだ。
日本から持ってきた相棒のラップトップを片手に、2階の共有スペースで文章を書き始める。一度スイッチが入ってしまうと、そのまましばらく集中が途切れることはない。あっという間に2時間が過ぎ、部屋に戻った。

僕以外の2人は、すっかりここの時刻に馴染んだらしく、8時半頃に起きだした。僕は環境適応だとかそういったことに、いちいち時間のかかるタイプなのだ。
揃って朝食を摂ったのだが、実を言うとそもそも僕はあまりきちんと朝食を摂る人間ではない。食事を抜くことはまずないのだが、時間がまちまちだったり、朝は果物だけだったりする。
今日はパンの入ったスープも胃に流し込んだところ、気分が悪くなってしまった。
こうならないように、日本からインスタントのスープを持ち込んだにも関わらずだ。全く、こうも繊細だとこっちの神経が参ってしまう。
2人にはとても申し訳なかったけれど、ホテルで休ませてもらうことにして2人を見送った。僕は空いた時間を洗濯にあてることにした。
ATMで少しばかりのカナダドルを現金で引き出すと、なんとも言いがたい不思議なお札が出てきた。
お札の右のほうがナイロンの作りになっていて、おもちゃのようなお金なのだ。

フロントで両替をしてもらい、コインランドリーに向かう。
ドラム式の洗濯機と乾燥機が上下にあり、さてどちらが洗濯機なのか、使い方はどうなのか、説明書きを読み下してゆく。
なんとか意思疎通を図ることはできるものの、僕のボキャブラリーはお粗末なものなのだ。洗濯機に顔を近づけていると、ふと気配を感じた。見ると、ピンクの服を着たかわいらしい女の子がじっとこちらを見つめている。

「やぁ、こんにちは」僕はそれだけ言ってさっさと洗濯物を詰め、適当にスイッチを押した。
こんな小さな女の子にコインランドリーの使い方を聞くなんて、そんなお粗末な話があるもんか。大丈夫だ、3ドル入れてボタンを押しさえすれば、それらしくは仕上がるはずだ。

洗濯が終わるまでの小一時間、コーヒーでも飲んで待つことに決めた。
この頃には随分気分も良くなっていたし、僕は一日のうちに1杯か2杯のコーヒーを飲むことを好む。
ホテルのロビーにスターバックスがあったので、カフェラテのトールサイズを注文した。
外で飲むときは、コーヒーではなくエスプレッソ系ドリンクを注文することが多い。コーヒーは家でドリップできるが、エスプレッソを使ったドリンクはなかなか家では飲むことができないから、高い代金を払うのも惜しくない気がするのだ。

言い忘れていたが、僕には少しばかり貧乏性のようなところがある。
今日の店員はチャイニーズだった。とても親切で陽気な女性で、「あら、Visaカードですね、オッケー。ここにサインしてくださる?はい、どうもありがとね。あら、あなたのラテをすっかり忘れていたわ。ちょっと待っててね、アハハ」などとまくしたてる。
「あぁ、それはどうも、しっかりしておくれよ」僕はなんとか応える。

マニュアル通りの受け答えじゃないと、うまく店員と話をすることができない。こういう時、僕は僕が本当に日本人であることをひしひしと痛感する。
日本の中で感じるギャップや生きづらさなんかを一蹴してしまうほどの「違い」が、ここには存在する。
そんなカナダの文化に上手く馴染めているそのチャイニーズの女性を、羨ましく思う。それとも彼女はここで育ったのだろうか。いずれにしても、環境への適応能力というものは、この世界で心穏やかに生きていくために最も必要な、かつ後天的に身につけることがなかなか難しいもののひとつであると思う。

「◯※▼×〜?♭△◆!!」
出し抜けに彼女が僕に、ほとんど叫ぶような格好で言った。ただ、僕が知らない種類の言葉だったのか、僕が聞きそびれたのか、いずれにしてもよくあることだが、僕には理解できなかった。ただ僕はもう一度ちゃんと聞き返すような気分にはなれなかった。そういうのって、自分も相手もそういうムードの時しかしちゃいけないと思うんだよ。それに、僕が本当に知らない種類の言葉だった時、これほど気まずいことってないじゃないか。

「そうだね」僕は経験則的に一番当てはまりやすい言葉を選んだ。それは彼女を満足させるものだったらしい。あとはトッピングを丁重に断り、静かにラテを受け取った。
 作ってもらったラテは驚くほど熱く(きっと彼女が忘れていたのは、適当な段階に熱さを留めておくことだったのかもしれない)、そして心底美味かった。2階の奥まったところに、人気のない休憩場所があるのだが、僕はそこに座って洗濯が終わるのを待った。こうして人気のない場所にいて、よく知った店のカフェラテを飲んでいると、僕は自分が異国にいることを忘れそうになった。

気をつけなくちゃならないのは、僕がスターバックスを日本の味として懐かしんでるところなのだ。こういうのって、エライ人に言わせれば「グローバリゼーションの産物としてのノスタルジーの変化」って感じになるのだろう。知らないけれど。

お昼になる少し前、僕は洗濯物を取り、部屋に引き上げた。うん、見た感じではけっこう上手く洗えてるんじゃないかと思う。そもそも、旅先で洗濯ができるってこと自体、結構うれしい誤算なのだ。
あまり求めすぎてはいけないのだ。求めすぎると、自分にも他人にもいいことなんてない。そういうことだと思う。これは、これまでの短いような長いような人生で僕が悟った数少ない真理のひとつだ。「もっとも僕の場合」という注釈はそろそろ省略してもいいだろうか。

《つまりはこういうことだ》

スタバ

《他の二人が見に行ったという、CNタワー》

CNタワー

カナダ旅行記 3日目 ② 〜会話の動機〜

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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