カナダ旅行記 3日目 ② 〜会話の動機〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜
カナダ旅行記 2日目 ② 〜凍った街と僕ら〜
カナダ旅行記 2日目 ③ 〜ベジタリアン〜
カナダ旅行記 2日目 ④ 〜地下の巨大都市〜
カナダ旅行記 2日目 ⑤ 〜訓練前の本番〜
カナダ旅行記 3日目 ① 〜洗濯と郷愁〜

昼ごろまでベッドでごろごろしながら本を読んでいた。
ちなみに今読んでいるのは、J.D.サリンジャーの”The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)”を村上春樹が訳したものだ。サリンジャーという人は知らなかったけれど、僕は村上春樹の独特な言い回しがかなり好きなので、ほとんど彼の作品のような感覚でその本を購入した。

英語の本でも何にしても、訳本というのはやはり原作とは違った風になる。
日本語でたとえるなら、「ふとんがふっとんだ」というダジャレの洒落たるところや、昭和時代における男女間地位の変遷なんかをなしに今の女性の社会進出が語れないみたいに、やはりその土地の文化背景や言葉を知っているからこそわかる「機微」みたいなものがどうも活かしづらいのだ。わかりづらいところには注釈をつけたりするのだが、冗談に注釈をつけるとどうも興ざめしてしまう。
お笑い芸人がネタをするたびに、「えっ、それってどういう意味ですか?どことどこが掛かっておもしろさを出してるんですか?」なんて質問する輩がいたら、僕はその芸人に心底同情する。

原作のスタイルをできるだけそのままに、ある程度は伝わらないことも承知で突っ切ってしまうか、それともできるだけ翻訳先の文化に即する形で、部分的に作り変えて訳すかは、翻訳家の好みでもあり、腕の見せどころでもあるのだろう。
僕はどちらかというと前者のスタイルを好む。
たとえば、これは極端な話だけれど、”Jane went to her favorite pub to enjoy her Friday night with a glass of beer and Fish and Chips(ジェーンは一杯のビールとフィッシュアンドチップスと共に金曜日の夜を楽しむために、お気に入りのパブへ行った)”という文章を、「ジェーンは一杯のビールとだし巻きと共に金曜日の夜を楽しむために、行きつけの居酒屋の暖簾をくぐった」と訳してしまうような場合、それってものすごく不自然な感じがしてしまうのだ。

そういう点においては、今回の訳本は僕の好みに合った。そして、これは僕の変な特長なのだけれど、心の中で思考するときの言葉遣いが、その時読んでいる作家の文体にいささか引きずられてしまうのだ。でも僕は結構そういうのを楽しんだりしているので、ご心配なく。

午後1:30を回った頃、妹と伯母が帰ってきた。往復たっぷり1時間と30分くらいかけて街で一番高いビルに登ってきたという彼女たちは、昼食を抱えて心底疲れた顔をして戻ってきた。きっと腹が空いていたのだ。
そういえば僕も腹が減ってきた気がする。
いつも大抵の場合、特に読み物や書き物をしている場合なんかは、「言われてみれば」で初めて空腹のような感覚に気づく。僕は一人暮らしにあまり向かない性格だと思う。
誰かにうまくペースを乱されるくらいが丁度なのだ。たとえ一人の時間を好んでいるにしても、だ。

今日の昼食は、テイクアウトのタイ料理と、サラダやフルーツだった。
僕はきっとこのタイ料理は僕には味が濃すぎたり、辛すぎたりするのだろうと内心やや嘆いていたのだが、驚くほど僕の口に合った。
実を言うと、かなり美味かった。具材も、僕が肉を好まないことを知ってか知らずか(おそらく言っていたように思うのだが、僕はそういうことをすぐに忘れてしまう)、伯母が海老と卵のパッタイにしてくれていたのもありがたかった。こういうのって、いくら周りが「私たちは海鮮も全然好きだし、合わせるよー。気にしないでね」と声を掛けてくれても、やはり本人は気にするのだ。
かくいう僕も、自分で言うほど「気にしい」だし、ネガティブなところがあるので、毎回毎回この上なく申し訳ない気持ちになってしまう。

僕にしてはかなりの量を食べ、すっかりお腹が満たされたためか、随分気分がよくなった。せっかく今日は晴れているし、ちょっと出かけてこようかなという気分にすらなった。外は氷点下13度。これ以上ないというほど服を着こみ、まんまると着ぶくれた格好の僕は「北極探検隊」と妹に命名された。

外に出ると、なるほど昨日の猛吹雪が嘘のようにカラッと晴れていた。そして、気温こそ低いものの、ほとんど寒さは感じなかった。宿でチェックした地図を、何度も何度も確認しながら歩を進めた。
「方向音痴」という言葉があるが、僕の場合はそんな生半可なものじゃない。
誰かと話しながらだと、何度通った道でもさっぱりキレイに覚えていないし、2度曲がるともうどちらを向いているかお手上げ状態になる。
ただし、一人というある意味で「崖っぷち」の状況下にあって、さらに地図に集中できると言う環境さえ与えられれば、驚くべき能力を発揮する。何をするにしても、一点集中型なのだ。

期待していたホテル近くの公園は思ったよりも規模が小さく、何もなかった。代わりに、まだ誰も足跡をつけていない新雪を踏みしめて進んだ。僕が、ただの訪問者の僕が、ここにいたという印。新たな雪が降ったり春が来ると、この足跡も消える。それくらいの「軽さ」がちょうどよかった。

唐突に声を掛けられた。こんな怪しい格好をしている僕によく声を掛けたものだ、それに僕は地図を持っているじゃないか。ただの観光客なんだ、道を訊くのはよしてくれよ。そう思いながら顔を上げると(そういえば僕は俯いて歩いていた)、青年がこちらを見ていた。
「やぁ、どこから来たんですか?えっ、日本?そういえば僕の友だちがもうすぐ日本に復興のお手伝いで行きますよ。あなたはあのあたりの近くに住んでいるんですか?そうですか、遠いんですか。お名前は?学生さんですか?あ、もう働いてらっしゃるんですね」

青年は次から次へと話を続けた。僕は言われるがままになっていた。こういうのは僕のよくないところだ。
個人情報をほいほい曝け出す(さらけだす)のは、あまり賢いとはいえない。次から気をつけよう。しかし、僕の個人情報がなんぼのもんだっていうんだ。

それにしても彼はなかなか道を訊いてこなかった。僕なら知らない人に声をかける時は道を尋ねる時くらいなもんだし、早く会話を切り上げたいから真っ先に本題を切り出す。それに、雪の中に突っ込んでいた足がそろそろ限界を迎えていた。
どうやら、彼は見知らぬ観光客に道を尋ねたかったのではないようだった。僕に困り事や悲しいことがないか心配し、必要なら教会で教えを請うことが出来ると案内した。
残念ながらこの時の僕には困り事も悲しい出来事も全くと言っていいほどなかった。呑気に休暇を満喫している、ただの23歳会社員カッコ独身、なのだから。
なるほど彼は、布教活動の真っ最中なのだ。
数年前の僕は、こういった宗教勧誘の類は頭から拒否し、無視していた。
「こわい。こわい。こわい。金を取られるんじゃないか。どこかとてつもない場所に連れて行かれるんじゃないか」と、とにかく遠ざけようとした。しかし、日本を一度出て海外に留学していた間に考えが変わった。ここで宗教論を繰り広げる気は全くないが、そういった布教活動をしている人たちというのは、概して悪気が全くないことが大半だし、これまで僕が出逢っただけでも(多くがスウェーデン人だが)、キリスト教を信じる人達はみなとてつもなく利他的で優しかった。

誤解を恐れずに言わせてもらうと、自らの欲望を満たすためだけに生きている人々に比べるとよっぽど好感が持てた。僕は自分を含める「人間」というものの欲深さに、すっかり辟易してしまうことがしばしばあるのだ。
目の前の彼も、僕がうんうん頷いていると、ウェブサイトの書かれた小さなカードを僕に手渡して、「日本にも支部があるから、困ったことがあったら連絡して。時間をくれてありがとう」と言って握手して去っていった。

《トロントの公園》

トロント公園

《新雪に足跡を残すというのは、小気味いいものだ》

トロント

カナダ旅行記 3日目 ③ 〜野菜のパスタ〜

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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