カナダ旅行記 6日目 ① 〜ベジタリアン〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜
カナダ旅行記 2日目 ② 〜凍った街と僕ら〜
カナダ旅行記 2日目 ③ 〜ベジタリアン〜
カナダ旅行記 2日目 ④ 〜地下の巨大都市〜
カナダ旅行記 2日目 ⑤ 〜訓練前の本番〜
カナダ旅行記 3日目 ① 〜洗濯と郷愁〜
カナダ旅行記 3日目 ② 〜会話の動機〜
カナダ旅行記 3日目 ③ 〜野菜のパスタ〜
カナダ旅行記 4日目 ① 〜朝の思考〜
カナダ旅行記 4日目 ② 〜蟻の巣〜
カナダ旅行記 4日目 ③ 〜セル瓶〜
カナダ旅行記 4日目 ④ 〜明かされぬ語り〜
カナダ旅行記 5日目 ① 〜白黒つけない〜
カナダ旅行記 5日目 ② 〜新旧の赤レンガ地区〜
カナダ旅行記 5日目 ③ 〜異国のたべもの〜

今日は「移動日」と位置づけてある日だ。目覚ましは8時にセットしてあったが、案の定5時に起床する。
5時。早寝早起きが習慣の作家がようやく起き出し、目覚めの一行を思案し始める時間だ。遠い日本では、定時に帰りそこねたスーツの戦士たちが今日も帰りが遅くなりそうだと悟り、やむなく温かい家族の団欒から、子どもたちの寝顔や妻の冷えた手料理に終業後の楽しみをシフトさせている頃だろうか。
それとも日々体力を削り、ほとんど思考する余裕すら与えられない彼らを温かく迎えるのは、夜のネオンに彩られた世界であるのだろうか。いや、今日は日曜日だ。

日本のサラリーマンは往々にしてこの「日曜日」という象徴的休暇を何よりも大切にする。
平均的に、僕らの国は土曜日と日曜日に一斉に休暇を取る。大人も子供も関係なく。
誰かと同じタイミングでないと上手く休暇を取ることができない国民性なのだ。そして、いつもこうして物事を一般化しようとしてしまうのが僕の良くない癖だ。
そうして手に入れた貴重な「休暇」をいう時間をなんとかしてウィークディと対照的な時間にすべく、つまりは自己を実現すべくということだが、人々は街に繰り出す。こういうわけで、一部の人々は自らの休暇を「他人の休暇のための労働」にて費やす羽目になる。

いずれにしても僕は、朝焼けを眺めながら束の間の読書を目覚まし代わりにすることに決めた。同じく目を覚ました妹が、今日から泊まるはずのホテル設備やアクセスについてまた検索を試みていた。
「ねぇ、ここのWi-Fiは有料って書いてあるよ。私たちの旅行代理店を通していれば無料になるみたいだけれど、どうやったらいいのか調べてみるね」
「ねぇ、お腹すくね」
「口コミが結構二極化してるよ。ね、どう思う?」などと忙しい。

きっと妹のように情報を集める能力に長けている人は、いつだって検索を繰り返し、空中に漂う塵のような情報から何らかの正解を見つけ出すことに躍起になるのだ。そして僕のように行き当たりばったりな人間は、その恩恵に与(あずか)ることになる。
もっとも僕は、脳内に存在するある種のスイッチを入れることさえうまくできれば、きちんと情報を収集して体系的に組み立てることだってできるのだ。そして僕は行き当たりばったりな旅もあまり嫌いではない。

窓から見えるダウンタウンの街以外は(もっともトロントのネオンは眠らないのだが)、誰も彼もが混沌とした夢の中で悪態をついていたり、遠い国にいる母を思う卯の刻の頃、僕らは朝食を摂った。
僕らは(少なくとも僕はということだが)、未だにうまくトロントの時刻に沿って過ごすことを認められないみたいだ。

僕の体の話をしよう。
僕の体は、日本人の中でもとりわけ繊細な部類に振り分けられる。小さい頃はアトピー性皮膚炎と呼ばれるやっかいな症状のために病院をたらい回しにされ、4歳の頃に睡眠薬を処方されるまでに至った。母の献身的な保護と熱心な情報収集の甲斐あって、思春期を迎える頃には随分と目立たなくなっており、子供にとっての精神的に非常に多感な時期を「特別な食事や処置が必要な者」として過ごさずに済んだ。

風紀の先生に見つからないように、学校帰りに友人とファストフードに寄った時の気持ちは、当たり前に獲得できたものなんかじゃないんだ。当時の僕はもちろん気付いてなかったけれど。
人生っていうのは幸か不幸か不可逆的なものだから、大人になって気づくことっていうのは絶対に子供だった僕には教えてあげられないし、僕らの子供になってゆく人にだって上手くは伝わらないのだろう。

とにかくそうして大学生になるまで息を潜めていたかのように見えた僕の敏感さは(最後まで手だけはトロールのようにごつごつとした、それでいてひび割れやすい代物だったが)、スウェーデンへの留学時にぶり返した。
鮮やかな血の色をした厚切りのステーキや、古い油を使ったフレンチフライ、とびきり濃度の高い乳製品(そのかわりとびきり美味だった)なんかが次々と僕の体に摂り込まれた。
僕は事あるごとに腹を壊し、食事をあまり愉快な行事だとは考えなくなっていった。この国は世界でも有数な「健康的な食事を摂る国」だとされていたが、ある種の部外者にとっては必ずしもそうではないようだった。
そもそも僕は、ミートボールにベリージャムをつけ、マッシュポテトといただくことを喜ぶほどグルメではないのだ。

それからほとんど菜食主義者のようになった僕は、結構そういう生活のほうが体に合っているのかもしれないと思い始めた。素朴で素直な、素材そのままの味を感じられるようになった。上白糖とミルクの過剰摂取を除けば、僕はまったくもって模範的なベジタリアンだった。
ただし自分の健康のために甘い誘惑を固辞する気は全くないので、安心してアイスクリームを差し入れしていただければと思う。

とにかくだ。僕は結構そういう意味でこの比較的長いカナディアントリップを心配していた。
ベジタリアンフードが豊富なのは有り難かったが、伯母と妹にいつまでも僕のわがままに付き合ってもらうわけにも行かないのだ。
そう、こういうことは自己満足を高める要因にはなっても、他人と行動を共にする際の足枷になりえてしまう場合がある。今朝は僅かな吐き気を感じながらりんごとパンを詰め込んだ。

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カナダ旅行記 6日目 ② 〜凍える朝〜

ブログ運営者

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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