カナダ旅行記 6日目 ② 〜凍える朝〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜
カナダ旅行記 2日目 ② 〜凍った街と僕ら〜
カナダ旅行記 2日目 ③ 〜ベジタリアン〜
カナダ旅行記 2日目 ④ 〜地下の巨大都市〜
カナダ旅行記 2日目 ⑤ 〜訓練前の本番〜
カナダ旅行記 3日目 ① 〜洗濯と郷愁〜
カナダ旅行記 3日目 ② 〜会話の動機〜
カナダ旅行記 3日目 ③ 〜野菜のパスタ〜
カナダ旅行記 4日目 ① 〜朝の思考〜
カナダ旅行記 4日目 ② 〜蟻の巣〜
カナダ旅行記 4日目 ③ 〜セル瓶〜
カナダ旅行記 4日目 ④ 〜明かされぬ語り〜
カナダ旅行記 5日目 ① 〜白黒つけない〜
カナダ旅行記 5日目 ② 〜新旧の赤レンガ地区〜
カナダ旅行記 5日目 ③ 〜異国のたべもの〜
カナダ旅行記 6日目 ① 〜ベジタリアン〜

時間をかけて荷物を詰め、ザッと部屋を点検する。道中半ばで、僕らのキャリーバッグは随分と満腹になっていた。ちなみに僕はメープルプロダクツにまったくもって「目がない」のだ。

9:50に迎えに来るはずのバスに合わせて、9:30頃にチェックアウトを済ませる。実に居心地のいいホテルだった。
例のエディー・マーフィーが作ってくれたキャラメル水すらも実に愛すべき思い出となり得た。

僕らは指定されたElm Streetに出てバスを待った。ここは他のストリートと全くもって雰囲気が違った。ホテルに面する4つの通りのうちここだけには足を踏み入れなかったが、なんとも趣のあるいい感じの通りだった。今日の外気温は氷点下13度。僕はほとんど自分が凍りつき、しまいには血まで凍って動けなくなるような気がした。

頭に使うはずのエネルギーを、今日だけは寒さをしのぐために使うことにする。
とにかく通りをせわしなく行ったり来たり、こまめに血を巡らせるために歩きまわる。もしかしたら、ここにいれば僕は余計なことを考えずに済むかもしれないと思ったかもしれないし、思わなかったかもしれない。

たっぷり30分も経った頃、僕はこの通りの歴史に随分詳しくなった。記念碑によると、もともとこの通りの端に植わっていた楡(にれ)の木(Elm)が名前の由来であるとのことだった。しかし今はもう、全てがトネリコの木(Ash)に取ってかわってしまったということだ。まぁ、僕はどちらの名前も知らなかったのだけれど。

その時出し抜けに、僕は不安になり始めた。僕らにとって今日のバスが来るかどうかというのは結構死活問題なのだ。
一方で、バスの運転手にとって僕らは名前も知らない、いつでも誰にでも取って代わることのできる観光客でしかないことを今思い出したのだ。

なにしろこの国の人達は、良くも悪くも驚くほど「アバウト」なのだ。僕らのピックアップを忘れて、一人ナイアガラの滝に向かってしまうことなど充分にありえた。例えなんかじゃなく、そういうのが本当にありえる国なのだ。
ここにいると誰もがひどく寛大な気持ちになるのだ。良くも悪くも。そうして、初めのうちはそういった寛大さを「自由」だと評していた観光客たちは、次第にそのいい加減さに辟易する。

突然、あるチャイニーズ男性が僕らに向かって叫ぶのが聞こえた。
「バスを待ってるのか?そこにはどのバスも来ないぜ!バスはみんな、こっちのBay Streetに来る手筈になってるんだ。例外なくね!」と。僕らは驚愕し、慌ててそちらに向かった。寒さでなにもかもがどうでもよくなっていたが、もう一度自らを奮い立たせる。こういう移動の際の手続きでしか僕はお役立ちができないのだ。

厚手のコートを纏った大柄のドアマンに助けを求める。もうピックアップの時間を随分と過ぎていた。彼は今僕らが目にする人の中でほとんど唯一の「真面目で紳士的な人」に見えた。彼は親切にも、バス会社に電話をかけてくれた。
その後、彼の口から放たれた驚愕の事実をここに一字一句違いなく書き記すことにする。

「今バス会社に電話をしました。彼らの言うことには、お客様のピックアップ時刻は12:15になっているとのことです。私はお預かりした予約表に記載されている(9:50という数字を指さしながら)時刻のことも言及したのですが、とにかくこの時刻とのことです」

これには正直うろたえた。罪のないドアマンに笑顔で礼を言い、その場を後にする。伯母と妹に伝えると、伯母は憤慨し、妹はまだバスが出発していなかったことに安堵していた。これがこの二人の性格の差なのだ。

今回の旅行に来るまで、伯母は僕の母とは対照的な性格をしていると思っていた。少なくとも、これまでの23年間の表面的な付き合いの中ではそう見えた。彼女はどちらかというと温和で物静かで、たまに頑固なところもあるけれど、控えめな主婦という印象だった。
しかしこの5日間で見た彼女の印象は、驚くくらい母と瓜二つだった。
観光地ではできるだけ足を動かし、様々なルートを調べて数多く巡ることを良しとする。部屋でゆっくりと羽根を伸ばすなど言語道断で、とにかく探究心豊かである。店員にも天気にも観光スポットにも実に多くの条件を求め、しばしば憤慨する。

僕はこういった点で母と頻繁に価値観を異にした。度重なる主張の末、母は愛情を持って僕のこのパーソナリティーを徐々に理解し始めている。それは僕にとってある種のうしろめたさもあったが、同時に家の中でかなりの居心地の良さを獲得することにもなった。その種の「価値観的歩み寄り」は道半ばではあるが。

《BAYストリートに面するホテルのロビーは、こんな風に出口にわかりやすく書いてある》

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《死ぬほど寒かった。思い出したくもないほどに》

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カナダ旅行記 6日目 ③ 〜珈琲の救済〜

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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