カナダ旅行記 6日目 ③ 〜珈琲の救済〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜
カナダ旅行記 2日目 ② 〜凍った街と僕ら〜
カナダ旅行記 2日目 ③ 〜ベジタリアン〜
カナダ旅行記 2日目 ④ 〜地下の巨大都市〜
カナダ旅行記 2日目 ⑤ 〜訓練前の本番〜
カナダ旅行記 3日目 ① 〜洗濯と郷愁〜
カナダ旅行記 3日目 ② 〜会話の動機〜
カナダ旅行記 3日目 ③ 〜野菜のパスタ〜
カナダ旅行記 4日目 ① 〜朝の思考〜
カナダ旅行記 4日目 ② 〜蟻の巣〜
カナダ旅行記 4日目 ③ 〜セル瓶〜
カナダ旅行記 4日目 ④ 〜明かされぬ語り〜
カナダ旅行記 5日目 ① 〜白黒つけない〜
カナダ旅行記 5日目 ② 〜新旧の赤レンガ地区〜
カナダ旅行記 5日目 ③ 〜異国のたべもの〜
カナダ旅行記 6日目 ① 〜ベジタリアン〜
カナダ旅行記 6日目 ② 〜凍える朝〜

話を戻そう。僕はどうもすぐに話が逸れる傾向にある。お気づきの点があればぜひお知らせいただきたい。

対人的な価値観という点においては、またプライベートな場面に限定して言えば、僕はどちらかというと妹と考えを共有している。トラブルは甘んじて受け入れ、最悪の事態に至らなかったことを歓び、多くを求めず平和的な収束を願う。
今日のことにしても、もし僕が「少しばかり英語が話せる」という理由だけでバス運転手にクレームを吹っかける役目を負うことになったりしたら、僕にはそっちのほうが緊急事態なのだ。

「よろしければお荷物をお預かりします。コーヒーでも飲みに行かれてはいかがですか?」と、例の人のいいドアマンが声を掛けてくれた。
僕らはお言葉に甘えることにし、先ほどのElm Streetに戻った。何を言おうにもとにかく寒いのだ。
僕らは程なく見つけたカフェに入ることに決めた。そのカフェは、これまでに僕らが訪れたどのカフェとも様子が違っていた。オーナーらしき女性は、韓国だか中国だかの中年女性だった(とにかく、日本語を理解しないアジア人だったということだ)。彼女は僕らのために店の中を暖めてくれたに違いない。と虫のいいポジティヴ思考を発揮してしまうほど、そのくらい親切な人だった。

黒板に書いてあるメニューを隅から隅まで僕らのために読み上げてくれたし、「おすすめはローストビーフのサンドイッチよ」とこっそり教えてくれさえした。
僕らは「自家焙煎のコーヒー」を3杯と、スープとサンドイッチとフルーツが付いたセットを注文した。ここはベーカリーにもなっていて、まるで日本で売っているような類のパンもいくつか並んでいた。
妹がハムとチーズのパンを盆に載せて来て、それも僕らのささやかなブランチに加えられることになった。

ここのコーヒーはしびれるくらい美味かった。僕の冷えきった体と、疲れ果てた精神にじんわりと染み渡った。
ミルクも砂糖もいらない、実に香りがよくクセのない飲みやすいコーヒーだった。コーヒーというよりは、珈琲という感じだった。
僕はそのまま眠り込んでしまってもいいような気さえした。サンドイッチは、ローストビーフと言うよりは焼き肉が挟まっていた。
きっとここでは何もかもが少しずつズレているのかもしれない。仮に日本を標準とした場合、ということだが。
一日目に見かけたラーメン屋では、「カツ丼」と書いた醤油ラーメンの写真や、「豚カツ」と書いたとんこつラーメンの写真が飾られていた。きっとここでは、そういうちょっとした違いっていうのはあまり問題にならないのだろうし、あるいは少しばかり捉え方が違うだけなのかもしれない。
要するに僕らは(伯母と妹は)その「ローストビーフサンド」を大いに楽しんだし、少し塩辛いホウレン草とサーモンのスープやなぜか甘いシュガーのかかったハムとチーズのロールパンをありがたく味わった。柔らかいパンは久しぶりで、僕は柄にもなくホームシックになりそうだった。

バスの時間が変わってしまっていたのは結構トラブルだったけれど、その結果獲得した束の間の時間にこんな風に粋な店に巡り会えるっていうのはなかなかいい。温かく美味いコーヒーは、日曜日の僕の朝をうまく正当化してくれた。

ついにバスの時間になった。悪びれもせず僕らを迎えに来た運転手は、思いのほか紳士的な見かけで、年を食っているように見えた。
車内で時間が変えられていたことを聞くと、「確かに君たちは10時のピックアップだったけれど、他の2人は12:30だったんだ。うまくスケジュールが組めなくてね」と彼は笑った。
これにはさすがに合いた口が塞がらなかった。ナイアガラまでは片道90分〜2時間ほど。往復するとスケジュールが組めないという言い分から考慮するに、彼一人が運転手を勤めていることになる。オフシーズンで客が少ないとはいえ、ご苦労なことだ。
それにしても連絡の1本くらいしてくれてもいいのに。

このころには、カナダという国との決定的な価値観の差を胸に嫌というほど刻み込まれていた。
日本の中で自分のことを幾らか浮いた存在だとか、特殊な人種だと思っている人は、一度カナダで長く暮らしてみることをおすすめする。おそらく自分がいかに「普通の代表的な日本人」であるかを痛感することになるし、日本の事を今よりももっと優しく寛容なまなざしで見ることが出来るようになるに違いない。

僕達と1組のカップルが小さなワゴンに乗り込み、定時よりも早くバスは出発した。
高速に乗ると、バスはひどく揺れた。100km/hは悠に出ていたと思う。まるでジェットコースターに乗っているかのような快適で愉快なバスの旅が始まった。僕はすぐさまひどい車酔いに見舞われた。

妹が隣でカメラを構えながら僕を心配してくれた。彼女はこう見えて結構器用なところがある。猛スピードで駆けるコースターは、IKEAを通過し、フォルクスワーゲンのオフィスを飛び越え、かと思うと何もない荒野を縫って進み、それはまるで時空間を旅しているようだった。

1時間を超えたあたりから僕らは揃ってもぞもぞし始めた。粋なカフェで飲み干した、大きなマグカップいっぱいの珈琲が効いてきたのだ。「バスに乗る前にトイレ行ったのに〜。やっぱコーヒーはだめだったかなー」とこぼしたのは、伯母だったか妹だったか。特に妹の場合が深刻で、バスの揺れがいちいち箍(たが)を外しにかかっている様子だ。もう景色どころではない。

《温かい飲み物がこんなにも体に染みたことはない》

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カナダ旅行記 6日目 ④ 〜世界一の滝〜

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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