カナダ旅行記 8日目 ① 〜Xデーの朝〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜

カナダ旅行記 7日目 ① 〜朝の胃袋〜
カナダ旅行記 7日目 ② 〜滝にまつわるものがたり〜

今日は僕にとって「ナイアガラ本番」のXデーとなる。なにしろ予定がてんこ盛りなのだ。
たっぷりと充分すぎるくらいに睡眠をとったので気分がいい。体がしっかりと覚醒するまでの間、部屋の窓から朝焼けをぼうっと見つめる。

水平線にうっすらと紫色のラインが引かれている。趣を無視して言うなれば、まるで蛍光ペンでしっかりと強調されたみたいだ。夜の群青色と濃い紫色と僅かな赤色が交じり合っている。
下の世界では、僕らの仲間たちがせわしなくライトをチカチカさせている。水平線の濃い紫が次第に赤みを帯びてゆき、空に浮かぶ雲に反射する。
こちらの雲はすごく僕らに近い。あるいはここにいると僕らは空に近い。やがて水平線は明るいオレンジ色に切り替わる。
ここまでの行程を、地球は実に時間をかけて行う。今を生きる僕らにはじれったいくらいの、悠然とした動きで。
陳腐な言葉で言うなれば、おおよそ80年で死にゆく僕らにとっての「時間をかけて」は、何十億年という地球にとっては必ずしも当てはまらない。
彼にとっては目にも留まらぬ速さで太陽を迎える準備をしていることになるのだ。

次の瞬間、僕らにとってさえ刻一刻と空が姿を変える数分間が訪れる。
太陽が姿を見せ始めるのだ。水平線の一点から、より強いオレンジの光が発せられる。
あまりの強さに僕は目を細める。何億光年も離れた場所からその姿のほんの一部分を見せただけでも、こんなにも強い存在を感じる。
太陽にとっての僕らはもう、いてもいなくても同じくらいちっぽけで、頑張ってたってそうじゃなくたって誰にだって平等に光を与え、その上、本人はほとんどそんなことを意識さえしていないのだ。

僕は、僕がここにいない想像をしてみる。僕はここにいない。見えている世界も、いや見えていると思っていた世界も嘘っぱちだった。
苦しみも悲しみも、嬉しさも感動も、そんな感情の定義ですらただの虚無だった。なら、僕たちはどうしてこうして「生きている」「生きよう」と思い込むのだろう。何のために、そしてそれが何になるのだろう。

「我思う 故に我あり」

デカルトの有名な言葉がよぎる。きっと彼はこうして自身やその周りの存在を徹底的に疑った末にここに辿り着いたのだろう。
そして僕もまたこの言葉に救われる。こうして、宇宙の中の銀河系の中の太陽系の中の地球に住む人間という生物は、どうにかして自己の存在意義を正当化してきた。
そこには宗教や偉大なる先人の言葉が大いに役目を果たしたに違いない。

伯母と妹が起きだしてくる。僕は、この2人の存在をどうにかして証明したいと願う。それが叶わなくとも、事実としての僕は彼女たちを信じ続けたい。
姿を見せ始めた朝陽がずんずんと僕らを照らし始め、ついにナイアガラの街を目覚めさせる。目の前に照らしだされた滝は相変わらず轟々と流れ続ける。この滝だって、僕たちが活動している時も休んでいる時も、病める時も健やかなる時もずっとこうして流れ続けてきたのだ。いや、おそらくは僕たちが今の姿形を持って地球に住み始めたもっと前から。僕は勝手にナイアガラのカナダ滝を太陽の次に順位付けしてみた。

さて、僕の頭の中のメモ書きは一旦置いておこう。

今日は忙しい日だ。さっさと着替えて、僕たちは例のアメリカ〜ンなブレックファ〜スト〜のレストランに向かう。昨日から一転、店内はひどく混雑していた。日本人だと思われる団体客が揃って朝食を摂っていた。
昨日のがらんとした様子を見てお店の経営を案じた僕らは、ひとまず安堵した。朝食クーポンを渡すと、案の定その団体客の中に紛れ込まされた。その方が早く朝食にありつけそうだったし、特に訂正もせずに席に着いた。昨日とほとんど全く同じ、コピー・アンド・ペーストしたような朝食がサーブされた。ただ違ったのは、オレンジが一欠片ついていたことだった(これは僕にはありがたかった)。
昨日よりも少し温かいパンと、昨日よりも少し薄味のスクランブルエッグをつつく。何もかもが昨日よりも少しずついいみたいに思えた。

そして、大きなカップに並々と注がれたコーヒーをいただく。どんな店に入っても、基本的にカナダのコーヒーは平均点が高い。日本で飲むコーヒーは、酸化して酸っぱくなっている事が多いのだ。

さらに日本人の観光客で店内が賑わってきたので、僕らは早々とレストランを後にした。戻りのエレベーターで、突然男性に日本語で話しかけられたのには少々驚愕した。
彼らは世界中のどこにいても、日本語で案内され、日本語で観光を楽しみ、日本語で感じることに慣れきってしまっているのだ。ガラパゴス日本諸島。
もっともそれが悪いことでは、全然ない。自国のアイデンティティとして、美しい母国語は守っていかねばならない。

《冬の朝のナイアガラは、水しぶきと蒸気で中が全く見えない》

朝のナイアガラの滝

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カナダ旅行記 8日目 ② 〜氷の世界〜

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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