カナダ旅行記 9日目 〜あなたは命の恩人です〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜

カナダ旅行記 8日目 ① 〜Xデーの朝〜
カナダ旅行記 8日目 ② 〜氷の世界〜
カナダ旅行記 8日目 ③ 〜前哨戦〜
カナダ旅行記 8日目 ④ 〜ワインの飲み方〜
カナダ旅行記 8日目 ⑤ 〜小さな町の冒険〜
カナダ旅行記 8日目 ⑥ 〜旅の満ち潮〜

ついに旅も終わりに近づいてきた。物語や映画のクライマックスっていうのは、いつもあっと驚くような大どんでん返しや感動のラストシーンが待っているものだ。
ところで、もし君が「家に帰るまでが遠足」だとかいう主義なら、まだ旅は終わっていない。ただし、家に帰る電車の中というのは大抵眠りこけているか、旅のあれこれなんかを思い出す時間になるので、期待に添えるようなクライマックスとはいかないかもしれない。
なんならこの旅の一番の見せ所は、やっぱりオーガニックのジャムだとか、とろけるようなアイスワインだとか、メープルウォルナッツの感動的なアイスクリームなんかになると思う(偶然にも全て昨日に凝縮されている)。
ただし、僕としてはこの移動の部分も結構印象に残っているので、番外編くらいの気持ちで書き記しておこうと思う。

昨夜は何時に眠ったのだろう。たっぷり眠った後、僕の目は朝の5時に開き、もうそれからは眠れなくなった。
ゆったりとした朝の時間を充分に満喫し、最後のパッキングに取り掛かった。ワインやジャムやメープルシロップなんかをしこたま買い込んだので、スーツケースの重量だけが案ずるところだった。が、まぁそれは空港に行ってから考えればよろしい。

例のアッメリキャ〜〜ンなレストラン(僕はもうほとんど自棄を起こしていた)での朝食からも、ついに今日でおさらばできる。ここでのいい思い出を無理にでも挙げるとすると、店内で一人だけ愛想のいい若い女の子と、マグカップに並々と入った結構美味いコーヒーと、最後の日だけおそらく僕のために薄く味付けされた炒り卵と、洒落たステンドグラス調の照明くらいなものだった。思ったより案外あった。終わってみるとそんなに悪くない3日間だった。4日目はいらないけれど。

11時のチェックアウトを済ませ、フロントレディにキャリーバッグを預ける。”You are very welcome(ウエルカムのところだけグッと下がる)”が口癖の彼女は、最低限の仕事をほとんど無表情で、しかも完璧にこなす人だった。僕は個人的にこういう仕事の仕方が嫌いじゃない。接客業としては少々難ありなのかもしれないが。

バスがホテルに迎えに来るのが14時なので、それまで近くのショッピングモールに相手をしてもらう。例によって伯母は最後の滝を見納めに行くと言い、僕はフードコートでただ座って書き物を、妹は同じくフードコートでただ座って目を皿のようにして若いイケメンを探していた。残念ながらここには比較的年を食ったマダム集団や老夫婦が目立った。

お昼ごろになると、伯母が戻ってきた。なんとアメリカ滝とカナダ滝の両方を見てきたらしい。僕たち兄妹は目を見合わせてこの旅で何十回目かの舌を巻き、それぞれ好みのファストフードを調達しに行った。伯母はクロワッサンとチキンヌードルスープ(ヌードルというよりショートパスタだった)、妹は同じスープとチーズのベーグルを半分、僕は雑穀ベーグルと訳のわからない丸いぶよぶよしたパスタの入ったイタリアンスープを食べた。
この雑穀ベーグルが大ヒットだった。プチプチとしたナッツのような食感に、むちっとした生地のベーグルを僕は夢中で食べた。結局3人ともが同じ店でだいたい同じようなものを買う結果になった。そもそもこの国には、食事においてあまり選択肢がないのだ。

腹が膨れて一服した後、ホテルに戻ってバスを待った。僕はこれからある交渉に臨むべく、少しばかり手に汗握っていた。今日の運転手は僕らをトロントからこのホテルまで送ってくれた老爺とは違っていたけれど、同じく人の良さそうなダンディな老爺だった。僕は知りうる限りの丁寧な英語を使い、彼に頼んだ。
「このバスは、ナイアガラの各ホテルとトロント空港を結ぶものだとは承知しています。しかし、僕らの飛行機は明日の早朝に発つ便で、僕たちは今日空港の近くのホテルに泊まることになっているんです。もしよろしければそちらにも寄っていただけませんか?」と。きっとかなり拙い英語で。
彼は親切にも嫌な顔ひとつせず会社に確認を取ってくれ、快く僕の申し出を受けてくれた。僕らは喜々としてバスに乗り込み、世話になったナイアガラのホテルを後にした。

次々とピックアップされる他の乗客と共にまずは空港に向かった。運転は相変わらず荒っぽ、いや豪快で、情けないことに僕は立ちどころにオエオエ言うことになった。そして相変わらず横を走る車はどれを取ってもほぼ間違いなく泥だらけだった。
今朝早起きだったこともあり、道中うまく眠り込むことができた後は楽になり、目覚めると空港はすぐそこだった。乗客たちが順繰りに降りて行くのを見届けながら、明日自分たちが乗ることになる場所をおさらいし、そのままホテルへと移動した。

カナダにはチップの習慣がある。これまでの旅でチップを払うような場面に直面していなかった僕は、そしてチップの文化を持たない僕は、運転手の彼にどのようにお礼をしようか悩んでいた。妹も同じことを考えていたようで、僕は妹に昔単語帳で見た記憶がある一つの言葉を教えた。
“You are my lifesaver.(あなたは私の命の恩人です)”と妹は大きくて重いキャリーを受け取りながら言った。するとその心優しい運転手は、”Oh, I like to save someone’s life(僕は誰かの命を助けるのが好きなんだよ). Especially my own life, haha.(特に僕自身の命をね、ははは)”と言いながら微笑んだ。僕はこの気の利いた冗談が特に気に入った。
これはささやかなお礼の印ですが、と僕は自分のキャリーを受け取りながら手持ちの僅かな現金をほとんどそっくりティッシュにくるんで渡した。運転手は顔を綻ばせて(少なくとも僕にはそう見えた)うまく僕たちの気持ちを受け取ってくれたようだった。

最後に泊まったホテルは、かの高名なヒルトン系のホテルだった。
チェックインを済ませると、エレベーターで上階に向かう。途中でレモン水とフルーツがサービスで置いてあった。体の7割方が果物で出来ている僕にはこの上なく嬉しいサービスだった。
最上階の部屋に入ると、これ以上ないというくらいのふかふかなベッドが僕らを出迎えてくれた。「やっぱりヒルトン系は違うねぇ」名は体を表すのだ。
驚くべきことに、このホテルでは無料で夕食がいただけた。どこまで至れり尽くせりなのか。しかも、軽食なんかじゃなくかなり満足の行く内容だった。今日はじめて口にする野菜に体が喜んだ。ほとんど原液とも思えるくらいの濃いトマトスープに少々げんなりした。トーストしたてのパンに舌鼓を打った。アールグレイの紅茶にホッとひと心地ついた。シャワーを浴び、荷物の再確認を終えるとすぐにベッドに潜り込んで眠りについた。

次の日に絶対に寝坊ができない用事があるとうまく眠れなくなったり何度も目が覚めてしまうのは、きっと僕だけじゃないと思う。夜中は嫌というほど何度も目が覚めてしまった。

続きを読む
カナダ旅行記 最終日 〜フライト〜

The following two tabs change content below.
ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。