カナダ旅行記 最終日 〜フライト〜

《バックナンバー》
カナダ旅行記 1日目 〜行きはよいよい〜
カナダ旅行記 2日目 ① 〜真夜中の覚醒〜
カナダ旅行記 3日目 ① 〜洗濯と郷愁〜
カナダ旅行記 4日目 ① 〜朝の思考〜
カナダ旅行記 5日目 ① 〜白黒つけない〜
カナダ旅行記 6日目 ① 〜ベジタリアン〜
カナダ旅行記 7日目 ① 〜朝の胃袋〜
カナダ旅行記 8日目 ① 〜Xデーの朝〜
カナダ旅行記 9日目 〜あなたは命の恩人です〜

ついにカナダを発つ日がやってきた。ついに、とは言うものの10日間の短い旅行なのでそれほど大儀そうにするべきではないのだが。

朝の3時半に目を覚ます。トロントに着いた時はどう頑張っても3時に目が覚めてしまったのだが、今となってはまだ眠っていたい時間だ。顔を洗い歯を磨き、荷物をまとめる。最後のチェックアウトを済ませた後、バスが来るまで白湯を飲んで体を目覚めさせる。
このホテルには、24時間フリーのコーヒー&ティーサービスがある。ただ、起きがけの胃にコーヒーを押し込められるほど僕の胃は頑丈じゃない。
朝の4時にもかかわらず、ホテルから空港までのシャトルバスは結構賑わっていた。これが空港近くに泊まるということなのだ。うっかりしていた僕らはシャトルバスの運転手に渡すチップを用意していなかった。さすがにチップを要求されることはないだろうと思っていたのだ。
運転手に謝りつつも、内心では昨日の気のいい運転手にチップを渡すことができてよかったとも思っていた。チップの文化というのは、なんだか微妙で難しいシステムだ。

さて、空港でのチェックイン。これがまた一苦労だった。実を言うと、この一連の流れを終えた後の僕は、まるで3日間飲まず食わずだったみたいにぐったりしてしまった。
まずは、僕の荷物が重量オーバーでひっかかった。そのまま乗せると法外な料金を請求されるところだったため、まだ余裕のあった妹のキャリーにいくらかを移し替えた。公衆の面前でキャリーを観音開きにするのはあまりクールな人のすることではない。

次に、帰りの飛行機ではカナダを出国する時点でアメリカの入国審査などもすべて済ませるため、何度も何度もパスポートを見せたり質問をされたり指紋を取られたり税関申告を通り抜けたりというポイントがあった。
途中でひょうきんな従業員が僕らの搭乗券を一度にチェックし、「あぁ、混ざっちゃったよ。察するに君が、これかな?」などと笑顔でやり取りをできた場面は、いくらか僕の神経を和ませた。

やっとこさ、ほんとうに長かった道のりを経て飛行機を乗る段になるところまで来た。僕は英語の案内に耳を澄ませ、重要な情報を聞き逃すまいとしていた。この頃僕はかなり疲れていて、妹が話しかけてくれるのにもうまく応答できないほどだった。
「ねぇ、申し訳ないけれど」と僕はおずおずと言った。
「全然君が悪いわけじゃないんだ。ただ、僕が英語を聞き取らなくちゃならない間は少しだけ日本語を差し控えてくれると嬉しい。僕は次々に頭の中の言語を上手く切り替えられないし、少し疲れているんだ」
僕がもっと英語を流暢に話せて、ラジオを聞きながら車の運転ができるくらいには器用な人間だったらこんなことを言わなくても済むのに、と思ったが、僕は僕にある面では満足していなくちゃならない。今の僕の持つなにかを失いたくないのであれば。自分の持つ能力や容量と、優先順位をハッキリさせなくちゃいけない。
ただし、これからもしばしば海外旅行をしたいのであれば、最低でも今くらいの英語能力は維持させておく必要があるし、そのためにはきっと日本でいくらか努力を続けておいたほうが良さそうだ。

ワシントンに向かう飛行機はひどく狭苦しかった。おまけに隣に座った人の肩幅が通常よりも2割増くらいだったから、僕は文字通り肩身の狭い思いをする羽目になった。さらに悪いことには、霧の影響で飛行機が降りられず、ワシントンに着いたのは予定よりも50分も後だった。
次に乗るのはANAだ、ANAだ、ANAだ、と自分に言い聞かせ、次なるゲートに向かう。ここではもう面倒な検査なんかはなくてもいいみたいだった。ゲート近くの免税店なんかをストレッチ代わりに歩きまわり、たっぷり3時間半ほど時間を潰した。
妹は免税店でブランド物の口紅とマニキュアを購入し上機嫌の様子だった。そしてそれらはどちらとも、とても妹によく似合う色だった。
ついに東京に向かうANA1便の搭乗時刻がやってきた。妹が「もうお兄ちゃん気を張らなくていいよ。日本語があれば私無敵だから」と声を掛けてくれた時には本当にホッとした。大事なことだから何度も言うが、僕は知らない人と話をするのが本当に苦手なのだ。

今はANAの機内でこの日記を書いている。13時間強のフライトの半分ほどが終わったあたりだろうか。
食事は実に美味しかった。デザートには特大のハーゲンダッツバニラもいただけた(ここにアイスワインがあったなら、どんなによかっただろう!)。
なにより、添乗員の優しい笑顔と素晴らしいサービスに僕は半ば感動している。日本が世界に誇る接客クオリティ。幾度と無くメディアで繰り返されるその文言を、僕は今ひしひしと肌で感じている。なんという安心感。

旅の楽しみ方には人それぞれあるだろう。僕の場合、今回の旅行は今までの旅行と比べて特に、内容そのものの楽しさは去ることながら、日本とカナダやアメリカの違いを感じる旅となった。
そして、日本での生活(僕は結構気に入っている)を再び忙しく走りだすに向けて、充分に活力を溜められた旅となった。
これから僕は東京に着き、その後大阪へと飛んで帰る。そこにはいつも通りの家族がいて、少しばかりエネルギーを消費するもののやりがいのある仕事があり、時折冗談抜きで死にたくなるくらいの未来への不安や期待がある。

そんな日々の中で少し立ち止まる機会や時間をくれた人々に本心から感謝している。そしてこれからの人生で少しずつでも、僕もうまく皆に還元していけたらなと。次の休憩ポイントまで、またうまくペースを守りつつ走っていこうと思う。

2011.3.20 完

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