伊勢旅行記 〜夏の終わりの贅沢な旅のお話〜【序章①】

「あと何回、こうして家族で旅行ができるのだろう」

子どもが大きくなってきた家庭で幾度となく繰り返されるこの台詞は、きっと親にしかわからない感情がたくさん詰まっているのだろう。
そこにはきっと、切なさや寂しさだけがあふれているのではない。

君たちが結婚したら。
家庭を持ったら。
孫と一緒にまた旅行がしたいなぁ。
そんな新たな楽しみへの期待も、そこにはあるかもしれない。
けれど、それはまた全然違ったものなのだ。
子どもと親として行く、こういう旅行とは。
そんなことを言ったら、わたしたちがまだ無邪気で、悩むことなんて何一つないあの頃の旅行とは、今はずいぶん違うじゃないか。
そんな風に言いたくなってしまう。

そうやって、少しずつ少しずつ、時は後ろに過ぎ去ってゆく。
あるいは、時はいつまでもそこにいて、わたしたちの思い出たちを大切にしまってくれていて、わたしたちだけがずんずんと前に進んでいるのかもしれない。

それでも、だんだんと形を変えてはいっても、つまり、弟がアルバイトで参加できなかったり、妹とわたしが苦労して仕事の日程を調整したり、そして子どもたちはみんな運転ができて、お酒が飲めるようになっていても、やっぱりわたしたちは子どもで、お父さんとお母さんがそこにいる。そんな旅行は、あと片手で数えるくらいしかできないのだろう。

小さな頃は、お母さんはずっとお母さんで、お父さんもそうで、歯が生え変わったり背が伸びたりして成長していくのはわたしたちだけで、それを信じて疑わなかった。
けれど、今はわかる。薄くなっていくお父さんの毛、近くで見ると小さなしわが目立つお母さんの肌。毎日会っているからわからないけれど、ふとした瞬間に、この人たちにも時間は流れているのだと実感する。
それは、わたしが思っている「成長」とはまた違ったベクトルの時の流れ方で、それは「老い」と呼ばれるらしい。人の生はいつか終わり、自分にも命の終わりは訪れるのだということを、そんな当たり前のことを、こんなふとした瞬間に突きつけられる。

たまらなくなる。目を背けたくなる。
命の儚さ、限られた時間、家族。普段見知った言葉たちが、ゆさゆさとわたしの心を揺さぶる。旅行という非日常は、そんなことをわたしに教える。考えさせて、身に染み込ませる。そうやってわたしは、毎日が同じようにではなく、ちゃんと前に進みながら命を使っているのだということを少しずつ少しずつ、自分自身に受け入れてゆく。

大人が強そうに見えたのは、そんな小さな実感を、ちゃんと積み重ねてきたからなのだろう。この歳になって、大人も弱いということを知った。けれど、大人(もちろん、全員ではない)は「知っている」ということも、何となくわかってきた。
たった一日半の、だからこそちょっぴり背伸びした、贅沢な夏のひと時。
もう行けないと思っていた、夏の最後に実現した、小さな伊勢旅行。

続き↓
伊勢旅行記 〜夏の終わりの贅沢な旅のお話〜【序章②】

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