伊勢旅行記 第1章① 〜日常からの旅立ち〜

はじめから見る↓
伊勢旅行記 〜夏の終わりの贅沢な旅のお話〜【序章①】
伊勢旅行記 〜夏の終わりの贅沢な旅のお話〜【序章②】

ばたばたばた。
わたしの働くところは、人がたくさんいる。
それだけで、わたしは何だか忙しい気分になってしまう。

それでも、職場の人たちの理解のおかげで、こんな不器用なわたしでも何とかやって行けている。楽しいとさえ思えるくらいに。ただ、深く息ができないだけ。
けれど、今日は何だか浮かれている。引き継ぎや、来週のイベント準備なんかの実際的なことをこなしつつ、そしてそれは実際にわたしを少しばかり疲弊させたのだけれど、それでもわたしは午後のことを考えていた。

12時のチャイム。サラリーマンのわたしたちは、お昼ごはんを食べる時間でさえも決められている。みんな、ちゃんとその時間にお腹が空いて、当たり前のように食事を済ませる。わたしは、終わらない最後の引き継ぎをどたどたとやって、やかましく出て行った。

今日は伊勢に行くのだ。生まれて初めての。
家に帰ると、同じく午前の仕事を終えた公務員の父親と、タイムマネジメントがへたくそで準備が全然終わらない母親と、すっかりおしゃれを終えた麗しき妹が待っていた。
あいかわらずばたばたと準備をし(うちの家族は、いつもこうだ)、今年米寿を迎えた祖父に束の間の別れを告げ、家を出る。

服は、会社帰りの半分スーツのようなままだけれど、車の中でやっとひとごこち着く。

コンビニでコーヒーを買って、高速を走る。近頃のコンビニは、マルチプレイヤーだ。マルチプレイヤーなのに、まるで乙女の気持ちを先読みしてくれる執事のようにどこにでも現れて、プロの仕事をこなす。それも、悪くない値段で。そりゃ、適わないよなあ。

最初のうち、車の中の話題は「伊勢神宮の外宮と内宮の読み方」で持ちきりだった。実際には、ほとんど議論が交わされることもないままに、Google検索で「外宮(げくう)、内宮(ないくう)」と解答が示される。
検索機能は、わたしたちにたくさんの知識を与えてくれ、代わりにたわいもない議論を奪うのかもしれない。あるいは、それがきっかけとなって会話が生まれることもあるのだから、皮肉なところではあるけれど。

夜にお酒を飲むために、昼に薬を飲んだせいで、とてつもなく眠くなる。気が緩んだこともあるだろうな。薬ってやつは、時に頼れる友であり、時にわたしを蝕む凶器になる。できればこいつから早く卒業したいのだけれど、今はわたしの生活をできるだけ波のないものにするために頑張ってくれている。感謝感謝。

わたしのことを、完璧な人だと思っている人の気が知れない。こんなにも、ふにゃふにゃしたやつなのに。それを知った上で、わたしを愛してくれる人を、わたしは愛し続けたい。

台風は過ぎた。
なんてすばらしい天気なのだろう。
青い青い、澄み切った空は、なにもかもをちっぽけに思わせる。

車窓から

続く↓
伊勢旅行記 第1章② 〜伊勢神宮 外宮〜

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。