【引きこもりの北欧紀行】 〜あらすじ〜

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 目で見ることも耳で聞くことも頭の中で一旦、文字に置き換えないことにはうまく理解できないため、人と会うのが疲れる「僕」。
前はこんなふうじゃなかったのに。それでも、自分が大学時代までに繋いできた「友達」との関係は断ち切りたくない。
八方美人で、誰とでも仲良くできる、明るい努力家の女の子という周囲からのイメージを保ったまま、どうにか引きこもれないだろうか。
そう考えた筆者は、海外旅行という蓑をまとって、日本を脱出する。

 憧れの地での慣れない外出続きの日々、友人宅での経験、一人の時間と共有の時間、自分が完全なる異分子であるという孤独感と快感を文章にする中で、改めて自分やそれを取り巻く環境、世界の広さと狭さを客観的に見つめることになる。
日本で感じていた自分の「女性らしさの欠如」という疎外感は、食べ物も気候も文化も、日本と全く違う三つの国を通じてやや形を変えてゆく。

 国という制度に守られ、治安もそれなりに良く、食べ物の素材を大切にする。
そして長く暗い冬と、切れ目のない昼間の連続である夏を持つスウェーデンとフィンランドは、「僕」に日本とは違った安心感を与えてくれる。

同時に、日本の人々が当たり前のようにあくせくと一日中働き、考える暇すらないことに疑問を感じ始める。
それでも、フィンランドはかつてスウェーデンに支配されていたという意識からか、どことなく劣等感と暗さを連想させる場面が多い。
日本から見るとほとんど違いはないように思われる二つの国に、確かに残る溝を目にし、「日本と外国」という今までの括りを解除せざるを得なくなる。

 さらに、バルト三国のリトアニアでは、つい四半世紀前までロシア領であった名残を肌で実感することになる。まだ発展途上である、人口三百万人の小さな国で生きる人々。そこでは人々は多くを求めることはなく、それでもハングリーに働いていた。守られてはいないかもしれないけれど、幸せそうに。あるいは、彼らは守られることをまだ知らないのかもしれない。

 このように三者三様に違った国、人々と日本人である自分自身とを比べることで、そこに存在する違いと共通性を少しずつ見出していくことになる。

 何が人を幸せにするのか。日本で感じる異質感と、海外で感じるそれは全く違うものであるし、何よりも自らの「日本人らしさ」に気づき、苦笑することになる。
その中で段々と浮き彫りになる「個」は、まさしく失われた自己の再獲得の過程なのかも知れない。
観光ばかりの旅行ではない、引きこもりがちの視点から見た世界。

地球は果てしなく広いけれど、人々の足元にある大地は皆同じである。

どこに行っても自分は自分にしかなれないのだと思わせてくれた、夏のスウェーデン、フィンランド、リトアニアへの旅行記。

北欧紀行

本編を読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1